鎌田さゆり
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鎌田 さゆり(かまた さゆり、昭和40年(1965年)1月8日 ‐ )は、平成期における日本の政治家。
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[編集] 概要
仙台市議会議員(自民党会派所属)を経て、1998年参院選に宮城選挙区から立候補、落選。定数2にもかかわらず、自民党仙台市連合会から推薦を受ける3人目の自民党候補だった。
民主党に移籍し、2000年の総選挙で衆議院議員に初当選。2003年11月の総選挙で宮城2区から立候補し再選された。
[編集] 2003年総選挙における公職選挙法違反事件
2003年、総選挙で再選されたが、同年12月、鎌田や今野東(宮城1区)への投票を呼び掛ける電話作戦をマーケティング会社に業務委託したとする公職選挙法違反(利害誘導)容疑で、全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会(電機連合)宮城地方協議会議長(日本労働組合総連合会宮城県連合会(連合宮城)会長代理)、NTT労働組合東北総支部委員長(連合宮城副会長)、同総支部事務局長や、マーケティング会社支店長ら計9人が逮捕された。
起訴された労働組合幹部5人については連座制適用を視野に入れた百日裁判が適用された。仙台地方裁判所は2004年3月31日、公選法違反(利害誘導)の罪で懲役2年~1年2月(いずれも執行猶予4年)の有罪判決を言い渡した。 控訴も、仙台高等裁判所によって同年7月26日に棄却され、さらに12月21日、上告も棄却され、有罪が確定した。
[編集] 連座制適用
被告のうち検察側から連座制対象者に認定されている電機連合宮城地協議長ら3人に禁錮以上の刑が確定した。そのため、仙台高等検察庁は、選挙の監督官庁である総務省(総務大臣)の許可を得て、鎌田の議員当選無効などを求める行政訴訟を起こす方針であった。しかし、同24日、鎌田は行政訴訟を待たずに議員辞職願を提出し、衆院議員を辞職した。一方今野は辞職せず争う姿勢を打ち出し、民主党全体としてはちぐはぐな対応を見せた。2005年1月21日、仙台高等検察庁は、今後5年間の同一選挙区からの立候補禁止を求める行政訴訟を起こした。同年3月22日、宮城2区からの立候補を5年間禁止する判決が言い渡された。
[編集] 仙台市長選挙に出馬、落選
鎌田さゆりは、2005年7月に行われた仙台市長選挙に立候補した。民主党を離党して、無所属での出馬だった。民主党宮城県連は自主投票を決めたが、民主党からは鳩山元代表や鎌田さゆりと同期の国会議員数名が応援に仙台入りし、地方と中央のねじれを見せ付ける形となった。7月31日に行われた投票の結果鎌田さゆりは、新人の元経済産業省職員・梅原克彦に6万票近くの大差で敗れた。
[編集] 外部リンク
- 鎌田さゆりHP(公式サイト)