間宮士信
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間宮 士信(まみや ことのぶ、安永6年(1777年) - 天保12年7月24日(1841年9月9日))は、江戸時代後期の江戸幕府旗本(御書院番)・地理学者。初名は信民。号は白水。通称は初め総次郎であったが、父間宮公信の死後にその名を継いで庄五郎と名乗った。
22歳の時、父の死によって家督を継ぐ。文化7年(1810年)、大学頭林述斎によって昌平坂学問所内に地誌取調所が設置された際に一員となり、『新編武蔵風土記稿』の編纂に参加した。この功によって2年後に頭取、文政2年(1819年)には最高責任者である総裁に就任した。天保元年(1830年)に21年の歳月をかけて『新編武蔵風土記稿』を完成させた他、『小田原編年録』、『編脩地誌備用典籍解題』、『古今感状集』など多くの著作を著した。
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 江戸幕府旗本 | 1777年生 | 1841年没