閻柔
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閻柔(えんじゅう、168年 - 没年不詳)は、三国時代の魏の武将。閻志の兄に当たる。
広陽の人。三国志演義には記述が無い人物である。
若い頃、鳥丸族や鮮卑族などの異民族に捕らわれたことがあるが、閻柔は不思議と魅力がある人物であったのか、逆に彼ら異民族とその経緯から親密になったのである。当時、鳥丸校尉の邪挙という人物がいたが、閻柔は鮮卑族の力を借りて彼を殺害し、その位を奪っている。
鳥丸や鮮卑と親しい関係があることは当時、河北を支配していた袁紹から重要人物と見なされ、その招きに応じて閻柔は袁紹の家臣となり、異民族との交渉などで重用された。200年の官渡の戦いで袁氏が没落し、袁紹も病死すると曹操に臣従する。そして、曹操から護鳥丸校尉に任じられ、やはり異民族との交渉などで重用された。
曹操の死後、その後を継いだ曹丕からも重用され、爵位を授けられるまでに至ったと言われている。