阿部頼母
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿部頼母(あべ たのも)は、『子連れ狼』に登場する人物で、代々公儀御口唇(くち)役を務める旗本阿部家当主。公儀御口唇役・阿部監物(けんもつ)の子。別名を怪異(かいい)という。御口唇役とは、将軍の食事の毒見役のことである。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
目次 |
[編集] 生い立ち
頼母の母は、頼母が生まれる前から発狂しており、以前から座敷牢に監禁されていたが頼母が生まれる一年程前に、ここを脱走。阿部家に連れ戻された時には、既に頼母を身ごもっていたという。そのため、監物からは、立派な御口唇役として育てるという名目の下、今で言えば虐待に近い育て方をされる。そのような生活の中で毒薬の使い方を覚え、両親を殺害して、阿部家を相続した。家督相続後は、御口唇役として、公方の深い信任を得るようになる。
[編集] 表舞台への登場
柳生烈堂が公方より命じられた、“子連れ狼”こと拝一刀・大五郎父子の江戸入り阻止に失敗し、公方の怒りを買い、その役目を外されると、頼母がその後任となった。ここでは、頼母が、毒薬の大家として知られ、また屋敷内では美人揃いの腰元に囲まれて生活していることが紹介されている。
その性格は残虐かつ保身のためならばどのような見苦しいことも平気で行うところがあり、川で水遊びとしている大五郎一人を殺すためだけにその川に猛毒を流して、無関係な近隣住民を毒殺し、一刀をして、
- 「烈堂以上に残虐。」
と言わしめる一方で、烈堂に己が悪事の証拠を握られ、それから逃れるべく縊死体の真似をしたりしてジタバタと振舞う様子は烈堂をして、
- 「武士にして、武士に心を持たざる奴。」
- 「取るに足らぬ蚊のような輩。」
と、散々に嘲られた。
また、物事に熱中すると、“毒屋の子”なる歌を口ずさむ癖がある。
一刀父子の抹殺を命じられた頼母は、烈堂を追い落として幕政の実権を握る好機と阿片漬けにした夜鷹を使ったり、また自らが変装して一刀親子に迫ってその毒殺を図るも失敗。さらに、一刀抹殺後の頼母達阿部一族の抹殺を狙う烈堂の毒殺をも図るも、これにも失敗し、逆に烈堂に首根っこを押さえられる結果となる。
[編集] 頼母の最期
そんな中、頼母は大五郎が身に着けていた柳生封廻状を手に入れ、これを公方に差し出し、<柳生に謀反の企てあり>と訴え出る。これにより、烈堂は江戸城に召喚され、監禁される。しかし、烈堂はこのことに備え、全国各地に配された“草”と呼ばれる密偵を江戸に召集。彼等を使い、江戸城内の御膳所(将軍に供する料理を作る場所のこと。頼母がここの差配を任されていた。)に放火。これは、失火と断定され、さらにこの日が、公方が紅葉山東照宮に参詣する、重要な日であったために責任者の頼母は切腹を命じられる。しかし、頼母はこれを嫌がり、切腹用の刀を用いて立会いの役人達を殺傷するも、江戸城に潜入していた一刀の姿を見、さらに一刀から輪廻を引き合いに出して諫められると、全てを諦めたかのように一刀に全てを任せ、その介錯によって死亡した。
[編集] 頼母が子連れ狼にもたらしたもの
頼母がこの作品に登場してから、起こした様々な事件は周囲にとって甚だ迷惑なものではあったが、この一連の行動によって、否応なしに不倶戴天の間柄であった一刀と烈堂とが手を組み、事態の収拾に当たったことは、お互いに武士として尊ぶべきものを見出すと共に、読者及び視聴者には敵役としてのイメージの強かった烈堂が懐の広い人物であるとのイメージを植えつけ、この物語の終盤へのテンションを高めることに繋がったともいえる。 その点で頼母の存在は大きかったといえよう。
[編集] 一代の頼母役者・金田龍之介
子連れ狼の原作者(作画)・小島剛夕は、頼母の容姿を、当時、名悪役として知られた金田龍之介をモデルに描いたという。また、時代劇・子連れ狼 (萬屋錦之介版)の阿部頼母役に金田がキャスティングされると、そのことを知ってか知らずか、金田は非常な熱演(怪演)をして好評を博した。一説に、金田は阿部頼母を演じる為に抜歯をしたともいわれる。