青木一貫
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青木 一貫(あおき かずつら、享保19年(1734年) - 天明6年6月28日(1786年7月23日))は、摂津国麻田藩の第9代藩主。初名は伊達村銘、青木一載。通称は伊織。父は伊予国宇和島藩主・伊達村年(三男)。母は伊達吉村の娘。官位は従五位下、甲斐守。
[編集] 生涯
青木一新には長男一在を含む五人の男子がいたが、それらが全て早世してしまった。そのため、一貫は一新の婿養子となった。明和6年7月頃から青木家と伊達家の交渉が始まる。養父との年齢の近さや持参金の問題からなかなか養子縁組の話しはまとまらなかった。伊達家が持参金の上積みなどを提案し、交渉はまとまった。同年12月7日幕府に養子縁組願い(婿養子)を提出し、翌年2月22日許可を得る。
明和7年(1770年)3月15日将軍徳川家治に御目見する。同年7月26日、養父一新の隠居により、家督を相続し、藩主となった。明和8年12月18日従五位下甲斐守に叙任する。安永7年(1778年)11月8日大番頭に就任する。天明4年3月9日大番頭を退任する。天明6年(1786年)6月28日死去、享年53。
正室は麻田藩第8代藩主・青木一新の長女お薗(家臣青木忠右衛門の養女、復籍)。長男健行(佐野義行養子)、次男貞喬(設楽貞猶養子)、三男政佑(米津政従養子)、四男一貞、五男一寧ら六男六女あり。
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