韓山童
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韓山童(かん さんどう 生年不詳 - 1351年)は、中国の元朝末期、河北省欒城県の人で、姓を韓、諱を山童といい、反体制組織である白蓮教を組織した。これは広く農民に広まることとなり勢力を拡大させた。紅巾の乱の引き金となった人物。
1351年、韓山童は、片目の石人像をつくって、黄河堤防に埋めていた。そして、「石人一隻眼、黄河を挑動して天下叛す」といった。何も知らない農民たちは黄河堤防で石像を見つけ、韓山童を信じた。韓山童は、宋の徽宗皇帝の子孫を名乗り、蜂起を企てた。これが紅巾の乱の発端となった。しかし、ほどなくして捕まり誅殺された。
小説・倚天屠龍記では、明教の総司令官として活躍するも部下であり実際に明王朝を建てた朱元璋の謀略にかかり、殺されたものとされる。