食行身禄
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食行 身禄(じきぎょう みろく 寛文11年(1671年)- 享保18年(1733年)7月13日)は、日本の宗教家。富士講の指導者。
本名は伊藤伊兵衛(いとう いへい)。伊勢国一志郡(現三重県津市)出身。元禄元年(1688年)に江戸で富士行者月行に弟子入りし、油売りを営みながら修行を積んだ後、享保18年(1733年)富士山七合五勺目(現在8合目)にある烏帽子岩で断食行を行い、そのまま入定した。
その後、開祖角行とともに、富士講の信者の崇敬を集めた。
身禄の教えを受け継いだ各派富士講の一つに、武蔵国鳩ヶ谷(現埼玉県鳩ヶ谷市)の小谷三志の不二道があり、教派神道の実行教となって今日に至っている。
[編集] 身禄の教え
身禄は、呪術による加持祈祷を否定し、正直と慈悲をもって勤労に励むことを信仰の原点とした。男女の同格や身分の否定、更には「世のおふりかわり」という世直しにつながる考えなど、封建社会に対峙する近代的な倫理観を持っていたこともあり、江戸幕府からたびたび禁止を受けたが、根強く江戸庶民の間に広がった。