養春院
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養春院(ようしゅんいん)とは、
[編集] 於振
養春院(ようしゅんいん、慶安2年(1649年) - 寛文7年6月28日(1667年8月17日))は、江戸幕府4代将軍徳川家綱の側室。吉田兼起の娘、吉田兼敬の養女。名はお振。
寛文5年(1665年)3月、大奥に勤め始める。寛文7年(1667年)に、家綱との間に子供を産むが、死産する。その同年6月28日に傷寒(急性熱性疾患)にかかった為、19歳で死去。済松寺正光院に葬られる。
[編集] おまさの方
養春院(ようしゅんいん、生没年は未詳)は、江戸幕府3代将軍徳川家光の側室。成瀬氏の娘。おまさの方としても知られている。
おまさの父は犬山藩の成瀬氏だが、正確にはわかっていない。寛永20年(1643年)に、家光との間に次男・亀松を出産するが、五歳で死去。
おまさの出自や経歴などはほとんど伝わっておらず、亀松の生母は桂昌院お玉の方ともいわれている。