香西元盛
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香西 元盛(こうざい もともり)は、戦国時代の武将。細川高国の重臣。
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時代 | 戦国時代 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 大永6年7月13日(1526年8月20日) | |||
別名 | 四郎左衛門尉(通称) | |||
氏族 | 波多野氏→香西氏 | |||
父母 | 父:波多野秀長 | |||
兄弟 | 兄:波多野稙通、柳本賢治 |
丹波国の有力国人である波多野稙通の実弟で、兄の勢力拡大に従って、その命令により香西家の名跡を継いだ。元盛は細川高国に仕え、大永4年(1524年)10月、兄の柳本賢治と共に高国と対立する細川晴元の残党を和泉で打ち破るという武功を挙げた。
しかし、大永6年(1526年)7月13日、細川尹賢の讒言を信じた高国によって上意討ちにされた。一説では、自殺に追い込まれたともされる。
死後、兄の稙通や賢治らが高国の暴挙に激怒して挙兵し、この事件は高国政権崩壊の契機となった。