高岡城
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通称 |
高岡城 |
城郭構造 | |
天守構造 |
不明 |
築城主 | |
築城年 | |
主な改修者 |
不明 |
主な城主 | |
廃城年 | |
遺構 |
堀・石垣 |
位置 |
高岡城(たかおかじょう)は、越中国射水郡関野(富山県高岡市古城)に1609年(慶長14年)に築城された平城である。城跡は現在、高岡古城公園(たかおかこじょうこうえん)になっている。
目次 |
[編集] 概要
前田利長の隠居城として築城され、縄張(設計)は当時の前田家の客将だった高山右近とされている。
郭は、本丸、二の丸、三の丸、明丸、鍛冶丸の5つからなるが、「御城外」とされる、現在の竹藪や梅林(当時の郭名は不明)も、これに加えるものと考えられる。総面積の約21万m²(71261坪)の内、約3割(24400坪)が人工の水濠である。
1609年(慶長14年)、前田利長の居城の富山城は焼失、利長は魚津城に待避した。利長は大御所・徳川家康と大将軍・徳川秀忠に火災の報告と、関野に築城の許可を求めた。即、許可された利長は、資材調達を小塚秀正ら、現地奉行を神尾之直らに命じ、魚津城から高岡の築城の指揮を取り、同時に城下町の造成も始めた。同年9月13日、「関野」を「高岡」と改め、まだ未完成の高岡城に入城した。
しかし、1614年(慶長19年)5月20日、利長は死去(享年53)した。その翌年には「一国一城の令」により高岡城は廃城する。その後、加賀藩の蔵などが置かれて、町人の立ち入りは禁止されたが、城址は「古御城」と呼ばれ親しまれたようである。
2006年(平成18年)4月6日、高岡城は日本城郭協会により「日本100名城」に唯一富山県内から選ばれた。
[編集] 高岡古城公園
高岡城跡は、1875年(明治8年)に「高岡古城公園」として公園指定された。高岡市民会館、高岡市立博物館、高岡市民体育館などの施設が公園にある。高岡市立中央図書館も公園内にあったが、2004年(平成16年)に開店したウィング・ウィング高岡に移転したため、今は無い。平日・休日を問わず、散歩などに訪れる人も多く、高岡市民の憩いの場にもなっている。春は桜が咲き誇り、美しい。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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