高木俊朗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
高木 俊朗(たかぎ としろう、1908年 - 1998年6月25日)は、日本のノンフィクション作家である。
目次 |
[編集] 略歴
東京生まれ。早稲田大学卒業。陸軍報道班員として各戦線に従軍。1975年菊池寛賞を受賞。
戦争末期に陸軍報道班員として鹿児島県知覧町に滞在し、慶應義塾大学経済学部より学徒出陣させられた陸軍特別攻撃隊員、上原良司(第56振武隊特別操縦見習士官、階級は少尉)にその出撃前夜、絶筆となった所感の執筆を依頼。戦死直後の6月には軍部の検閲の眼を盗み、直接遺族の両親と妹達に届けた。
高木は戦後、『きけわだつみのこえ』に寄稿し、上原の手記が巻頭を飾る事になった。そして特攻隊員の筆舌に尽くしがたい悲しみや、陸軍第六航軍司令官菅原道大中将ら、特攻隊の出撃計画を練り上げて指揮命令した者たちの腐敗の実態を、闇に葬り去らせることなく衆目に曝すこととなった。
[編集] 著作
1949年に著した『インパール』以降、『抗命』『全滅』『憤死』などインパール4部作、『陸軍特別攻撃隊』1~3、『狂信 ブラジル日本移民の騒乱』などの多くの戦争記録文学作品を発表した。
遺族にお聴きした事実によると特攻隊の事やインパール作戦の実態を良い事も悪い事もジャーナリズムの観点から軍司令官や幹部の腐敗、知覧町のその後の変化などを書き過ぎた為に、知覧町民や菅原道大ら当時の作戦立案とその実行指揮命令者ら関係者の恨みを買い、正に言論袋叩きに遭い、その後は一度も知覧には訪問しなかったとの事。詳しくは『特攻基地知覧』(角川書店)で参照されたい。
[編集] 参考文献
- 『高木俊朗の遺言』1・2 (文芸春秋、2006年) ISBN 4160080243