高橋信次 (放射線医学者)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高橋 信次(たかはし しんじ、1912年 - 1985年4月2日)は、日本の放射線医学者。名古屋大学教授。愛知県がんセンター総長。X線廻転(回転)撮影法・X線多色撮影法・X線拡大撮影法を開発し、放射線診断学に寄与。福島県二本松市出身。東北帝国大学医学部卒業。医学博士。恩賜賞・日本学士院賞。二本松市名誉市民。スウェーデン王立科学アカデミーゴールドメダル受賞。
目次 |
[編集] 歩み
1912年高橋定之助(じょうのすけ)・サキの次男として、二本松町亀谷(かめがい)に出生。1924年町立第二尋常高等小学校を卒業、のち旧制安達中学校、旧制第二高等学校理科乙類を経て、1938年、東北帝国大学医学部を卒業。
1944年医学博士。東北帝国大学医学部を卒業後、同放射線医学教室へ入局。当時間接撮影法を発明し、集団結核検診の普及に高名であった放射線医学界の重鎮・古賀良彦教授との師弟関係を深め、同17年には講師として生涯の道である放射線医学への道を歩み始めた。
1947年に青森医学専門学校、1949年に弘前大学教授として教鞭をとる一方で、従来の撮影法よりも高度な、X線廻転撮影法の研究に熱意を傾け、1950年にその研究で東奥賞を受賞。1954年には名古屋大学教授に招聘され、新たに放射線医学講座を開設。同32年に廻転撮影法研究で中日文化賞を受賞。CTの基本原理に結びつく廻転横断撮影の画期的な検査法を研究発展、かつ診断的価値の高いCTへの基礎づくりを始めた。やがて国際学会で認められ、イタリアのゼノア市での第3回・第4回国際断層撮影講習会へ特に講師として招かれている。また、1959年には同医学部附属病院中央放射線部長として放射線治療の第一線で活躍、検査法の開発・普及に尽力、さらに国際舞台でもその研究成果を報告し、評価を得るところとなった。 その後は、1963年第1回日本癌治療学会における「原体照射法」の特別報告、世界保健機構(WHO)放射線専門委員をはじめとして、国際放射線防護委員、米国放射線学会名誉会員、第12回国際放射線会議副議長(東京)、科学技術庁放射線審議会会長、「生体のX線による解剖」日本医師会医学賞受賞、浜松医科大学副学長・日本癌治療学会名誉会員、ドイツ放射線学会名誉通信会員等、国際的な活躍を遂げた。
1977年浜松医科大学附属病院長就任、恩賜賞・日本学士院賞受賞。文化功労者顕彰、愛知県がんセンター総長、日本学士院会員、同58年北米放射線学会名誉会員をつとめた。
1984年文化勲章受賞、1985年愛知県がんセンター名誉総長、最初の二本松市名誉市民に推戴された。同年4月2日、愛知県がんセンター病院において逝去。享年74。蓮華寺(二本松市内亀谷)に眠る。死後、同年7月、医学への長年の貢献をたたえて、スウェーデン王立科学アカデミーよりゴールドメダルを授与された。
[編集] 著作
[編集] 単著
- 『断層撮影と廻転横断撮影―肺結核症の診断』(医学書院)1954年
- 『X線撮影と検査の手びき』(南山堂)1961年
[編集] 共著
- 『放射線医学』(南山堂)1965年、古賀良彦、高橋信次
- 『X線撮影とX線検査』(南山堂)1972年、高橋信次、佐久間貞行
- 『図解 コンピュータ断層法―基礎原理から診断図譜まで』(秀潤社)1979年、1990年(3訂増補新版)、高橋信次、佐久間貞行
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 岡田光治 『高橋信次―X線CTの先駆者』(医療科学社)2003年12月、ISBN-10: 4860035003(1995年、ISBN-10: 490077040Xの同著作者による同名著書の改訂新版である)