高田中学校・高等学校
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高田中・高等学校(たかだちゅう・こうとうがっこう)は三重県津市の私立中学校・高等学校。東海地方でも屈指の大学合格実績を持つ進学校である。
母体は真宗高田派(専修寺派とも)の本山・専修寺による学校法人高田学苑。そのため、学業のみならず仏教を通した人格形成にも重きを置いており、仏教の授業や仏教行事などが行われている。高田派寺院の僧侶が兼職している教員も少なくない。
校訓は「言行忠信 表裏相応(言行に誠意があって表裏なく、己をいつわらず、他をいつわらない)」
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[編集] 歴史
江戸時代末期、専修寺の講堂に勧学堂の額を掲げ、宗典が講義されたのが学校の始まりである。
明治4年(1871年)専修寺内に、僧に仏典や漢文を教える場として貫練場が創立され、翌年から一般子弟も教えるようになった。この明治5年が開校の年となっている。
[編集] 教育
中高一貫教育の6年制と、高等学校単独の3年制(I類・II類)とがある。6年制と3年制とはクラス編成もカリキュラムも別立てで、同じ敷地内ではあるが校舎も異なる。体育館などは共通である。
6年制では中学1年生時の担任が高校卒業まで持ち上がりで同クラスを担当し、一貫した指導がなされている。他の中学校から、高校入学時に6年制へ編入することも可能である。 近年一部の教師による暴力などが問題となっている。 また2006年未履修問題で時間割に大幅な変更がなされた。
[編集] 進学実績
6年制は、東海地方屈指の進学実績を誇る。1学年200人弱と生徒数の少なさから考えると、首都圏の難関中学にも匹敵する水準の実績であり、毎年、東京大学、京都大学を始めとする旧帝国大学、一橋大学、東京工業大学および早稲田大学、慶應義塾大学などに多くの卒業生を送り出している。また、地元三重大学をはじめとする国公立大医学部へ進学する卒業生が多いのも特徴と言える。これは開業医の子が生徒に多いという事情もある。文系については法学部志向が強い。
3年制については、毎年卒業生の半数以上が4年制大学に進学しており、特にII類コースでは地方国立大および難関私立大への進学を目標とした指導を行っている。
かつては中学校に「3年コース」も設けられていたが、1980年入学生を最後に、1981年入学生からは6年制(中高一貫教育)のみの設置となった。3年コースからは当時の県立高校総合選抜制度における第2群の津高・津西高に進む者が圧倒的多数であり、津高や津西高を経て難関大学に進んだ高田中学卒業生も多かった。
6年制の中学入試難度は高い。しかし、三重県内からの入学者がほとんどであることから、首都圏などの大手進学塾の統計集に載ることも少なく、全国区でのデータははっきりしない。高田中学の受験日は1月上旬と、関西地区や名古屋地区に比べ早いため、灘や東大寺中学などの志望者の一部が、毎年、練習で受けにくるのが恒例である。
[編集] 部活動
部活動も盛んに行われており、高校の部活動では、6年制も3年制も同じクラブに所属する。
特徴的な部活としては、三重県の中学では珍しい鉄道研究部や、学園長がつくった馬術部、ボランティア活動を行う仏青部などがある。 また漫画研究部はオタクからもひかれる。
[編集] 出身有名人
- あべ静江 - 歌手、タレント
- 常磐井慈祥 - 真宗高田派専修寺法嗣(次期門主)
- 桶田敬太郎 - お笑い芸人、構成作家、元・フォークダンスDE成子坂
- うたまろ 小堀力 - 歌手
- うたまろ 加藤一輝 - 歌手(中退?)
- 加藤友理 - 2005年ミス東大、ニュース時事能力検定イメージガール
- 茨木政彦 - 週刊少年ジャンプ編集長