高麗郡
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高麗郡(こまぐん)は、かつて埼玉県に存在した郡である。
716年、朝廷が駿河など7ヶ国に居住していた旧高句麗の遺民1799人を武蔵国に移したことにより高麗郡(こまのこおり)として設置されたのが最初である。
設置時の郡域は現在の日高市と飯能市の一部であり、律令制下では小郡に分類されていた。『倭名類聚抄』には高麗郷(現在の日高市高麗本郷付近)・上総郷(現在の飯能市東部)の二郷の名が記されている。
中世以降郡域が入間郡・比企郡方面に拡大し、江戸時代には鶴ヶ島市・日高市全域および川越市・飯能市・狭山市・入間市を含む地域となり、入間川が入間郡との境界となっていた。
1896年3月29日、入間郡に編入したため消滅した。
1896年の入間郡編入時の郡域。1町・12村を含んでいた。
- 現・飯能市域
- 飯能町
- 精明村
- 南高麗村
- 加治村
- 現・川越市域
- 霞ヶ関村
- 名細村
- 現・狭山市域
- 柏原村
- 水富村
- 現・入間市域
- 元加治村
- 現・鶴ヶ島市域
- 鶴ヶ島村
- 現・日高市域
- 高麗村
- 高麗川村
- 高萩村
郡役所は同郡の中心地であった飯能町ではなく、入間郡と共同で川越町に置かれていた。