魚津対徳島商延長18回引き分け再試合
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魚津対徳島商延長18回引き分け再試合(うおづ たい とくしましょう えんちょう18かい ひきわけさいしあい)とは、昭和33年(1958年)8月16日及び8月17日に阪神甲子園球場で行われた、第40回全国高等学校野球選手権大会の準々決勝第4試合、富山県立魚津高等学校対徳島県立徳島商業高等学校の野球試合を指す。
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[編集] 試合前の状況
延長18回までで打ち切りというのは、偶然にも今大会から適用されたルールであったが、実はこのきっかけを作ったのが徳島商のエース板東英二であった。板東は春の四国大会において、高知商戦延長16回、翌日の高松商戦延長24回の計40回を完投したのである。これを見た高野連役員が健康管理上問題ありとして理事会に諮ったため、延長戦は18回で打ち切り、引き分けの場合は翌日再試合という新ルールができたのであった。この適用第1号が、また板東の投げる試合だったのである。
魚津は今大会初出場であったが、1回戦で優勝候補の浪商(現・大体大浪商)打線をエース村椿輝雄が4安打完封して波に乗った。続いて2回戦は明治と壮絶に打ち合ったが7-6で辛くも逃げ切り、3回戦の桐生戦はまた村椿が4安打完封して準々決勝に進んできた。
対する徳島商は2回戦からの出場であった。板東は2回戦の秋田を1安打17奪三振完封、3回戦の八女を4安打15奪三振1失点におさえており、その豪腕ぶりを遺憾なく発揮していた。
村椿と板東の両好投手による熱戦が期待されていた。
[編集] 試合経過
チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | R |
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徳島商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
魚津 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
- (延長18回規定により引き分け再試合)
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- 審判:(球)相田(塁)大橋・中西・谷村(外)葵山・松井
8月16日午後4時25分に試合開始となった。村椿が抜群の制球力で徳島商打線を打たせてとれば、板東は球威十分の剛速球で魚津打線から面白いように三振を取っていった。2人の力投で回は進み、ついに最終回と定められた18回となった。徳島商は1死1、3塁の願ってもないチャンスであったが、勝負をかけたスクイズが捕邪飛となり、続いて強気に重盗を試みたが失敗。18回裏、魚津にも中越えの長打が出たが、3塁で刺された。試合終了は午後8時3分。板東の奪三振数は25という驚異的な大会新記録となった。
[編集] 再試合経過
チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R |
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徳島商 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 |
魚津 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 |
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- 審判(球)相田(塁)大橋・中西・谷村
再試合の先発は、魚津は森内、徳島商はもちろん板東だった。徳島商は4回表に適時打で先制し、6回表でもリリーフ村椿から適時打とスクイズで加点し逃げ切った。板東はこの日も完投し、三振9を奪って大会奪三振を66とした。これで、第18回大会の明石中・楠本保の持っていた大会奪三振記録64を上回った。
[編集] その後
徳島商の翌日の試合は準決勝の作新学院戦であったが、板東は1安打14奪三振の超人的な力投を見せた。しかし、板東の神通力もここまでだった。4連投となった決勝の柳井戦では、完投したものの14安打を浴びて7失点、奪三振は3と、文字通り力尽きた。それでも、板東の大会奪三振は83となり、これは現在も破られていない。
一方、敗れた魚津は蜃気楼旋風と称賛を受けた。地元・魚津市は2年前に死傷者179名を出した魚津大火という痛手を受けており、復興途上にあっただけに市民は大いに勇気付けられ、帰郷した魚津ナインを熱狂的に歓迎したという。