鵜沼城
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鵜沼城(うぬまじょう)は、現在の岐阜県各務原市鵜沼南町7-23にある、室町時代から安土桃山時代にかけての城である。木曽川の北岸の天然の岩山の上にあり、犬山城とは木曽川の対岸になる。別名:宇留間城、宇留馬城、志水山霧ヶ城。
[編集] 歴史
築城されたのは永享年間(1429年~1440年)で築城者は大沢利治という。大沢氏は土岐氏・斉藤氏に仕え、この地方に勢力をもっていたという。
戦国時代中期の1564年(永禄7年)、織田信長は木下藤吉郎に、鵜沼城と伊木山城の攻略を命ずる。しかし、城主の大沢治郎左衛門の抵抗は強く攻め落としに難攻する。しかし、木下藤吉郎の調略に対し大沢治郎左衛門は応ずる事で鵜沼城は明け渡される。
こうして大沢治郎左衛門は織田信長の配下となるが、信長はこの事に疑いを持ち、大沢治郎左衛門の暗殺を企てる。これに気づいた木下藤吉郎の手引きで大沢治郎左衛門は逃亡し、鵜沼城は無人の城となる。
その後、鵜沼城は犬山城主の池田恒興の配下となる。池田恒興国替えすると、中川定成が犬山城主となり、鵜沼城はその配下となる。
小牧・長久手の戦いの中、1584年(天正12年)3月13日、池田恒興は東美濃へ向かうと見せかけて鵜沼城に入城、中川定成が留守なことを利用して犬山城を攻略する。数年前までの居城という事もあり短時間で攻め落とす。(犬山城の戦い)
その後、鵜沼城は廃城される。
[編集] 現在
犬山橋のすぐそばにある小高い岩山が城址である。以前は城山荘というホテルがあったが閉鎖されており、中に入ることは全くできない。