鷺沼城
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本丸遠景 | |
通称 | |
城郭構造 |
連郭式平山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
不明 |
築城年 |
平安時代後期か |
主な改修者 | |
主な城主 |
鷺沼太郎源太光義 |
廃城年 |
不明 |
遺構 |
なし |
位置 |
鷺沼城(さぎぬまじょう)は現在の千葉県習志野市鷺沼付近にあった城。
目次 |
[編集] 概要
鷺沼城は習志野市役所付近から東京湾に向けて突出した台地の先端部に位置する。築城時期は不明だが、吾妻鏡に見える、石橋山の戦い後に頼朝が兵を整えた鷺沼旅館をこの鷺沼城に比定する向きがあり、この説を容れれば築城時期は平安時代に遡る事になる。その後の鷺沼城に関しても詳細は明らかではないが、千葉郡誌に正応年間(1288年-1292年)に鷺沼太郎源太光義が拠りその墓が高台の南西部に築かれたとあり、本丸内の祠がその墓であると伝わる。
時代は下って室町時代、享徳の乱に乗じて馬加康胤が原胤房と組み千葉氏本家に弓を引き家を乗っ取った際、康胤の旗下に鷺沼兵庫という武将が見える[要出典]。
城跡に建つ昭和34年建立の石碑碑文によると、六百年前の正応年間に市川城主の里見氏と鷺沼源太満義ら下総の諸将が北条氏康と戦って敗れたとあり[1]、第二次国府台合戦に鷺沼氏の末裔が加わった可能性が考えられるが、内容がひどく混乱しており、また、前述の鷺沼太郎源太光義と読みが同じであることから、光義の事績が誤って伝わったものとも考えられる。
[編集] 鷺沼城址公園
鷺沼城のあったとされる場所は現在鷺沼城址公園として整備され、一般に開放されている。同公園の敷地内には、古墳や埴輪や土器なども発掘されており、レプリカが飾られている。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- ^ 児玉、坪井 監修『日本城郭大系6 千葉・神奈川』新人物往来社、1980年。
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