黒田寿男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年 - 1986年10月21日)は、日本の政治家・弁護士。元衆議院議員。
岡山県出身。第六高等学校・東京帝国大学法学部を卒業。在学中に新人会で活動し、法曹資格を得て後は自由法曹団で労働運動・農民運動を支援した。
1936年に行われた第19回衆議院議員総選挙に岡山県選挙区から全国農民組合の支援を受けて出馬。当選するものの翌1937年に人民戦線事件で加藤勘十とともに検挙、政界から追放の憂き目に遭った。
戦後、日本社会党の結成に参加。衆議院予算委員会理事・農林委員会委員を歴任するが、芦田均内閣の予算案に反対したことを口実に石野久男・岡田春夫・園田天光光らと共に除名。黒田ら除名処分を受けた議員は1948年に労働者農民党を結成し、黒田は主席に就任した。社会党・共産党との間の統一戦線を目指したが、園田らが党を離脱したりするなど党勢が伸び悩み、自らが支持基盤としていた日本農民組合では共産党との指導性をめぐって内部分裂が起きてしまい、結局1958年に労農党は解散、黒田らは社会党に復帰した。