龍草廬
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龍草廬(りゅう(たつ) そうろ、正徳4年(1714年) - 寛政4年(1792年))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。
姓は武田。名は公美(ときのり)。字は君玉。通称は彦次郎、後に衛門とした。草廬は号である。一時期、名は元亮に、宇は子明にしたが、元に戻した。 京都の人。
[編集] 経歴
龍草廬は京都の伏見で生まれ、成長すると京都の宇野明霞の門下に入った。明霞と不和になると「常師無し」と称して、烏丸小路に詩社を開いた。1750年(寛延3年)、彦根藩主井伊直定の招聘により進講し、1756年(宝暦6年)には藩儒として採用、在任十八年の後京都に戻る。致仕後に詩社を幽蘭社と称し、漢詩文の大衆化に務めた。
『草廬文集』・『草廬詩集』・『金蘭詩集』・『唐詩材』・『日本詩冊』・『論語詮』・『毛詩證』などを著した。
幽蘭社の門人には、岡崎盧門・大江玄圃などがいる。