Raphael
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Raphael(ラファエル)は、日本のヴィジュアル系バンドである。
バンドコンセプトは「等身大の自分たち」。インディーズの頃から、有力なバンドとして注目そして期待されていた。後に音楽雑誌『Vicious』などで大きく取り上げられ、コーナーも作られたりもしたが、ギター兼コンセプトリーダーであった華月の死後、活動は再開されていない。
バンド名は熾天使ラファエルから。かっこよさげという理由で華月が名付けた。ラファエルが「音楽」や「癒し」を司ることから、音楽性を「癒しの旋律」とする。
目次 |
[編集] メンバー
- YUKI(ゆうき)ボーカル
- 本名は桜井有紀。少年合唱団の経験があり、クラシック調の独特な歌い方をする。シェフをしている父親にならい、料理が得意。その腕前はプロ級といわれ、スタッフなど関係者をうならせる。ラファエル活動停止後はドラムのヒロとrice結成。
- 本名は渡辺和樹。殆どの楽曲を手がけ、Raphaelのほかでも活発な活動を行っていた。愛称かじゅりん。百合十字団のリーダーでもある。19歳の若さで死去(2000年)
- YUKITO(ゆきと)ベース
- 本名は本田之人。ルックスのよさ等が目立っていた。Raphael活動停止後はバンドBLACK LOVEを結成し、自らボーカルとベースを兼任。のちに大麻栽培で逮捕。現在は神奈川県川崎市で友人とバーを経営するかたわら、バンド活動中。
- HIRO(ひろ)ドラム
[編集] 歴史
- 1997年3月 - YUKITOを中心に上に挙げた4人で結成。
- 1997年10月 - 当時のサポートキーボーディストを介して、後のプロデューサー平井光一に出会う。
- 1997年12月24日 - 初ライブ。
- 1998年4月7日 - 恵比寿GUILTYにて初ワンマン。癒しというコンセプトで活動していく中、彼らの才能を見出した平井光一のプロデュースを得て更に着々と人気は広がっていく。
- 1999年12月23日 - 3daysワンマン初日、池袋CYBER。
- 1999年2月26日 - 渋谷ON AIR EASTワンマン。
- 1999年5月28日 - 渋谷公会堂での初のホールワンマン「天使の檜舞台」で、メジャーデビューを発表。チケットは即日完売。
- 1999年7月23日 - シングル「花咲く命ある限り」でフォーライフ・レコードからメジャーデビュー。
- 1999年7月26日 - デビュー後初ライブ「白の集い」を渋谷公会堂で行う。
- 1999年8月 - 全国ツアー「~天使降臨~」。ファイナルは30日、川崎CLUB CITTA'。
- 1999年10月4日 - 赤坂BLITZ二夜連続公演「理想夢物語 白中夢」。
- 1999年10月5日 - 赤坂BLITZ二夜連続公演「理想夢物語 黒中夢」。
- 1999年12月1日 - ファーストアルバム『mind soap』を発表。翌日からツアー「mind soap」を開始する。ファイナルは渋谷公会堂。
- 18歳になり、高校を卒業出来る年齢になり初めて年齢を公表。
- 2000年3月4日 - 日本武道館で卒業式を意識したライブ「graduation」を行い、第二期Raphaelの開始を宣言する。
- 2000年夏 - ライブハウスツアー「癒し小屋 ~夏、とにかく暑い」を決行。
- 2000年10月31日 - リーダーである華月が急逝。
- 2000年11月19日 - 日比谷野外音楽堂で開かれたお別れ会「Raphaelと天使達」には、数多くのファンが集い、涙を流した。
- 2000年11月21日 - インディーズで発売された作品6タイトルをメジャーで再発。
- 2000年12月から翌年1月にかけてツアー「Raphael Tour 2000-2001 新世紀を駆けぬけろ!」をギターレスで決行。ファイナルの渋谷公会堂2days公演を最後に永久活動休止に入る。今でも根強いファンが多く残っており、ひどく惜しまれた存在である。
[編集] その他の話
- 武道館のライブにて限定配布されたCD「雪の人形」は、亡くなったとあるファンの為に華月が作曲したもの。賛否両論を巻き起こしたが、彼が自分の信念を曲げることはなかった。
- YUKIは料理が上手く、よくメンバーにご馳走していたらしい。
- 音楽番組「HEY!HEY!HEY!」にも出演経験があり、生前の華月はそこでピアスの多さ(当時18個)等を、司会のダウンタウンに突っ込みの材料にされていた。因みにYUKITOは髪のヴォリュームのせいか「ヅラ?」と言われてしまった。
- マキシシングル『「Sick」~×××患者のカルテ』に収録されている「症状3-×××症」は、ダウン症のことを指している(華月の身内にダウン症の伯父がおり、世間が彼に向ける視線と解釈の不自然さ、疑問を率直に綴ったセンセーショナルな楽曲のひとつ)。
- メジャーデビュー時のシングルのプロモーションビデオはフランスで撮影され、そこで海外のファンと出会った事に感動した事が雑誌のインタビューで紹介されている。
- 『夢より素敵な』から『promise』までのシングルのジャケットイラストを天野喜孝が手掛けている。華月が「ファイナルファンタジーの人がいい」と冗談半分でお願いをしたら、天野の側もRaphaelの音楽を気に入り難なく了承、そのまま実現してしまったということである。
- 華月の死因は鎮静剤の多量摂取だという。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] アルバム
- LILAC(ミニアルバム)
- LILAC -SECOND EDITION
- mind soap
- 卒業(ミニアルバム)
- 不滅華
- Raphael Singles
[編集] シングル
- White Love Story
- 「Sick」~XXX患者のカルテ~(マキシシングル)
- Sweet Romance
- 夢より素敵な
- 花咲く命ある限り
- eternal wish~届かぬ君へ~
- promise
- lost graduation
- Evergreen
- 秋風の狂詩曲(ラプソディー)
[編集] Video / DVD
- LILAC - VISION OF EXTREMES
- LILAC - VISION OF EXTREMES II
- Pictorial poem
- Raphael Special LIVE graduation
- Pictorial Poem 2
- Last
- First
[編集] 外部リンク
- Raphael - Raphael所属のフォーライフミュージックエンタテイメントによるRaphael公式ページ
- Raphael Fan Club「天々団」オフィシャルウェブサイト - 上記ページ内にかつて存在したコンテンツ
- 華月オフィシャルHP
- [1]