Yukihiro
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yukihiro(ユキヒロ, 1968年11月24日 - )は、日本のドラマー。千葉県市川市出身。L'Arc~en~Cielのドラマー、P'UNK~EN~CIELのベーシスト、acid androidのヴォーカリスト、フロントギターとして活動している。また、元Zi:Kill、DIE IN CRIESのドラマー。L'Arc~en~Ciel加入以前は表記がYUKIHIROだった。愛称は「ユッキー」。身長165cm、体重48kg、ウエスト54cmと細身。血液型はA型。
プレイスタイルは低音を極力抑えながら、細かい手数を入れた叩き方が特徴。ロート・タムを多用し、通常のヘヴィメタルなドラムとは異なる硬質な音を出す。また、変則リズムも多く採り入れており、結果的にはラルクの楽曲幅を広げることに貢献した。セットは通常、パールの2バス・ドラムセット、MXシリーズにセイビアン製のシンバルを組み合わせたもので、スネアドラムは薄いタイプを用いている。また、通常のドラムセットとは異なり、タムやスネアは地面に対して水平に設置されており、位置も低め。さらにクラッシュシンバルはかなり高い位置にセットされている。このためライブなどでは他のドラマーに比べて、上半身がより見えやすい。2006年12月には、限定版としてyukihiroのシグネチャー・モデルのスネアが発売された。
また、ラルク加入後はリミックスも手がけており、リミックス集「ectomorphed works」を2000年にリリースしている。
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[編集] 来歴
yukihiroがドラムを始めたのは高校入学の時だった。 高校入学祝いを貰いそれでギターを買おうと楽器店へ行ったところ、ギターと同じフロアに置いてあったドラムセットに一目惚れしたそうだ。フルセットで叩き、近所から苦情が来たため、市役所の訪問を受けた事がある。結局、叩く時間を決めることで、事態は収拾された。そして高校入学後から髪を伸ばしはじめ、バンド活動を始めた。
しかし、バンド活動に傾倒し次第に学校へ行く意味を見失い、高校を退学しようと親に相談したところかなり怒られた。結局高校を無事卒業し大学へと進学した。
大学在学中にZi:KillのKENからの誘いを受けZi:Killに加入し活動する。しかし、メジャーデビューアルバムのレコーディング終了後に脱退してしまう。 理由は海外でレコーディング中メンバーの一人が「こいつが居るなら俺が辞める」と言い出し、途中参加だったyukihiroが抜ける事となった
その後室姫深に誘われOPTIC NERVEを結成する。しかし、KYOとバンドを組みたいと思ったyukihiroは室姫深と共にDIE IN CRIESに加入しメジャーデビューを果たす。
1995年のDIE IN CRIES解散後はソロ活動と共に飯島直子のサポートドラムとして活動をする。
1997年にL'Arc~en~Cielのsakuraが逮捕された後、サポートドラムとして参加、1998年1月1日付けで正式加入する。
ドラムセットの前にマイクを置いていたsakuraとは対照的に、加入当初は歌うことは殆ど無かったが、2003年のShibuya7daysライブ中、自作曲「trick」をhyde、tetsu、kenらとギターで演奏しながら共に歌う。そして後のacid androidでは本格的にボーカルをとっている。
ドラムだけでなくギターやプログラミング、昔はDJも担当していた。レディオヘッドを尊敬しており、写真を額縁に入れて飾っているほど。他にもミニストリー、スリップノット、TOOL、デフトーンズ、マッシヴ・アタック、メタリカなどをフェイバリットアーティストとして挙げている。
L'Arc~en~Ciel内で作詞・作曲を手掛けた物は少ないものの、ライブで人気のある「ray」収録の「trick」やyukihiroが作詞した、「New World」はhyde以外のメンバーが作詞を手掛けた初のシングル作品であり、yukihiro初の日本語詞でもある。
[編集] 人物
- ラルク以前の呼び名は「先生」だった。これは学生時代に英語と数学の家庭教師をしていたことからである。また、ラルク以降も時折「先生」と呼ばれているが、概ね「ユッキー」の愛称が定着している。
- 細身の身体だが、運動神経はよく、小学生時代には運動能力テストで優等とされ、バッジをもらったこともある。また、中学時代には陸上部で短距離走選手として活躍していたが、外を走る練習の際にたびたびサボっていたことがばれてクビになったと音楽番組で語っている。
- チョコレート、コーラ、ジンジャーエール、マクドナルドのフィレオフィッシュが好物である(ただ、ラルクのメンバー曰く「(コーラを)前はガンガン飲んでだけど、20代過ぎてから手加減して飲むようになった」らしい)
- ヘビースモーカーだが、酒は大の苦手。
- ホラー映画が大嫌いで、「リング」を見て泣いた。
- ツアーの移動中の車内でtetsuの薦めで「ハチ公物語」を見た時も泣いた。(kenはそれまでハチ公物語を西郷隆盛の飼い犬の話だと勘違いしていたらしく、西郷隆盛が出てくるのを、待っているうちに、飽きて寝てしまったらしい)
- ゲーム好き。特にPS2の「塊魂」のファンだったのは有名。王子のストラップを携帯に付けていた。また、tetsuがなかなかクリアできなかったファイナルファンタジーVIIを数日でクリアしてしまったこともある。
- 2005年のツアー中に愛知万博に訪れた際、イメージキャラクターのモリゾーに嵌まり、大きなサイズのぬいぐるみを購入。残りのツアー中も連れまわしていたらしく、ドキュメンタリーDVD『ASIA LIVE 2005』中に、楽屋にモリゾーが置かれているのが映っている。とはいえ、そのぬいぐるみはツアー終了後、速やかにファンクラブのオークションにかけられた。
- 高校時代は学業成績はよかったらしい。ただ態度が不遜な上、長髪だっため教師に受けは悪く、大学に合格した際、言われた言葉は「お前が受かって、他の生徒はどう思うかな?」だったそうだ。
- ラルク以前はバンドマンたるものかくあるべし、というポリシーを断固として守っていた。例えば「半そでは着ない。」「ハワイには行かない。」など。音楽以外に割く時間はないと、車の免許も持っていなかった。ラルクに加入し、自然体のメンバーに大きな影響を受けた後は、ハワイも行き、半袖を着用するように。1999年にはリーダーであるtetsuに「車の免許も取ったほうが良い」と言われ取ったことを、FMラジオで公言した。
- 歌い声は独特なもので、『瞳の住人』に収録された『READY STEADY GO-yukihiro READY-』で多くのファンを驚かせた。
- ドラムのセットやP'UNK~EN~CIELでのベースの位置などから、普通の人に比べ腕が若干長めと思われる。
- 激しいドラムプレイからは想像もつかないほど、話し方は穏やかで口調はゆっくりとしている。一部のファンからは「ひらがな喋り」と言われることも多い。「はい」は「あい」、「yukihiroです」は「yukihiroれす」に聞こえると言う。
[編集] 作品
[編集] シングル
- yukihiro名義
- acid android
[編集] アルバム
- 「8. 13」LIVE AT NISSIN POWER STATION '95. 8. 13 (2000年5月14日)
- acid android(2002年9月25日)
- faults(2003年3月12日)
- purification(2006年5月10日)
[編集] ビデオ・DVD
[編集] バンド遍歴
- GUERRILLA
- Zi:Kill
- OPTIC NERVE
- DIE IN CRIES
- L'Arc~en~Ciel
- acid android
- P'UNK~EN~CIEL
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