メタリカ
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メタリカ | |
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![]() メタリカ(2003年12月19日) |
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出身地 | ![]() |
活動期間 | 1981~ |
ジャンル | スラッシュメタル ヘヴィメタル ハードロック ラウドロック |
レーベル | メガフォース エレクトラ・レコード ワーナー・ブラザーズ・レコード ソニー・ミュージックエンタテインメント ユニバーサルミュージック |
メンバー | ジェームズ・ヘットフィールド ラーズ・ウルリッヒ カーク・ハメット ロバート・トゥルージロ |
旧メンバー | ロン・マクガヴニー デイヴ・ムステイン クリフ・バートン ジェイソン・ニューステッド |
メタリカ (Metallica) は、1981年にアメリカのロサンゼルスで結成されたヘヴィメタル・バンド(後に本拠地をサンフランシスコに移した)。スレイヤー、アンスラックス、メガデスと共に「スラッシュメタル四天王」の一角と言われており、1990年代の全米アルバム総売り上げ4位のビッグ・バンドである。ジェームズ・ヘットフィールド (Vo/G) とラーズ・ウルリッヒ (Dr) らが中心になって結成された。
目次 |
[編集] バンド名の由来
ラーズの友人であるサンフランシスコ地区メタル・プロモーターのロン・クインターナが新しいメタル雑誌の名前を『Metallica』にしようとした際、ラーズがすぐに別の名前を提案し、『Metallica』という名前は自分とジェームズが始めたバンド名にすることを決めた。
[編集] 音楽的特徴とその影響力
スラッシュメタルの先駆者としても知られ、1stアルバムではNWOBHMの影響を存分に受けたスラッシュ一辺倒であったが、2nd - 4thアルバムでは叙情的なフレージングと冷徹なヘヴィリフのコントラストを芸術的に融合させたヘヴィメタルを展開。
古典的なヘヴィメタルの様式美とは若干異なり、何処か冷ややかさのある耽美的な美旋律が特徴である。そういった音楽性からヘヴィメタルの臨界点に達したバンド、理想系を築き上げたバンドと言っても過言ではない。
また5thアルバムからはヘヴィネスに特化した音作りが中心となり、昨今のラウドロックバンドに大きな影響を与えた。
[編集] バイオグラフィ
- 1981年10月にラーズ・ウルリッヒがジェームズ・ヘットフィールドを誘う形でメタリカが結成される。
- 1982年、コンピレーションアルバム『メタル・マサカー - Metal Massacre - 』に提供するために「ヒット・ザ・ライツ - Hit The Lights - 」をレコーディング、その直後にデイヴ・ムステインが加入する。
- 6月、『メタル・マサカー1 - Metal Massacre 1 - 』がリリースされる。
- 数ヶ月後、オリジナル7曲入りのデモテープ『ノー・ライフ・ティル・レザー - No Life 'Till Leather - 』を制作する。
- デイヴと他メンバー間の衝突は、ロン・マクガヴニーの脱退を引き起こし、バンドは新たなベーシストを探すこととなる。
- 12月、新ベーシストとしてクリフ・バートンが加入。
- 1983年2月にサンフランシスコに拠点を移す。
- 1984年初頭、ヴェノムのサポートとしてヨーロッパツアーを行う。
- 6月に2ndアルバム『ライド・ザ・ライトニング - Ride The Lightning - 』発表、年末より大規模な欧米ツアーを敢行。メジャー・レーベルエレクトラとの契約を獲得し、Qプライムとマネージメント契約を締結。
- 1985年8月、イギリスドニントンで開催されたモンスターズ・オブ・ロックに出演。
- 1986年3月に3rdアルバム『メタル・マスター - Master Of Puppets - 』発表(メジャーデビュー)、ビルボード27位にランクイン。50万枚以上の売り上げを記録し、メタリカ初のゴールド・ディスクを獲得する。なお、この3rdアルバムは『ヘヴィメタル史上屈指の名盤』と称されている。このアルバムの成功は、メタリカの名を世界中のロックファンに知らしめる契機となった。
- 1987年8月、初期のカヴァー曲をレコーディングした『メタル・ガレージ - The $5.98 E.P. Garage Days Re-Revisited - 』(EP)を発表。一時期は入手困難のため、かなりの高額で取引されていた。
- 1988年9月、4thアルバム『メタル・ジャスティス - ...And Justice For All - 』発表。ベースの音が聞こえない、ドラムの音が電子音の様に聞こえることで物議を醸したが、名曲「ワン - One - 」を収録し、初のプロモーション・ビデオも発売されビッグ・バンドの地位を築き始めた事も事実である。プロモーションビデオは名作映画『ジョニーは戦場へ行った』(1971年発表)の映像がコラボレートされ、ジャスティスツアーのライブセットではCDジャケットの石像が崩れ落ちる大仕掛けなものであった。
- 1989年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門に「ワン - One - 」がノミネートされたものの、受賞は逃す。
- 1990年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門で「ワン - One - 」が受賞。グラミー賞会場はタキシードあるいはフォーマルスーツが恒例で、そんな中メタリカは例のいつものブラックジーンズ姿といういでたちでさっそうと登場。この事はグラミー賞の歴史上、異例のことであった。
- 10月より、アルバム制作にとりかかる。
- 1991年8月、5thアルバム『メタリカ - Metallica - 』(通称ブラック・アルバム)を発表、全米初登場1位を獲得する(以後4週連続1位)。全世界で2000万枚を超える大ヒットを飛ばす。3年に亘る長期間のワールドツアーを終えた後、暫く休養期間に入る。
- 1996年6月、6thアルバム『ロード - Load - 』を発売し、全英・全米1位を記録。しかし、前作から大幅に変わった音楽性は一部のファンに不評であり賛否両論を巻き起こした。
- 1997年11月、7thアルバム『リロード - Reload - 』発表、全米1位を獲得するものの、2作続けて同等の路線にスレイヤーは「メタリカは死んだ」と発言。ただし収録曲のほとんどが『Load』製作時の楽曲であり、『Load』に収録しきれなかった楽曲である。(2枚組みで発売する案もあったが見送られた。)
- 1998年11月、カヴァー曲を集めたアルバム『ガレージ・インク - Garage Inc. - 』発表。
- 1999年11月、メタリカ本拠地のオーケストラ、サンフランシスコ交響楽団との競演ライヴアルバム『シンフォニー&メタリカ - S&M - 』発表。
- 2000年4月、ナップスターを相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こす。
- 2001年1月、ジェイソン・ニューステッドが脱退。
- 2003年2月、新ベーシストとして元スイサイダル・テンデンシーズ~オジー・オズボーンバンドのロバート・トゥルージロが加入(ちなみに同年、元ベーシストのジェイソン・ニューステッドがオジー・オズボーンバンドに参加)。
- 2004年、8thアルバム『セイント・アンガー』が完成するまでの3年間に密着した(1600時間もの膨大なテープを編集した)映画『メタリカ:真実の瞬間- Some Kind Of Monster -』が製作され、日本では2005年7月より限られた劇場でのみ上映された。
- 2006年8月に千葉と大阪で行なわれたサマー・ソニック'06へ参加。アルバム『メタル・マスター - Master Of Puppets - 』の発表から20周年を迎えるこの年を記念して、アルバム全曲を曲順通りに演奏した。演奏終了時にヴォーカルのジェームズ・ヘットフィールドは「Master Of Puppets!Happy 20years anniversary!」と咆哮、モニタ画面には故クリフ・バートンの遺影が映しだされた。
[編集] 成功の軌跡
全世界でのアルバム・セールス1億枚以上を誇り商業面での成功もさることながら、グラミー賞を6回受賞するなど社会的な認知度も高く、何よりコンサートの動員力が凄い。元々はアンダーグラウンドが主戦場であり、スラッシュメタルの先駆者である(ということは、レコード・デビュー当時はメタリカのような音を出しているバンドは他にはおらず、したがってスラッシュ・メタルという定義付けすらなく、決してメインストリームを歩んではいなかった)彼らをここまで押し上げたのは、コアなファンのクチコミによるところが大きい。また、大手マネージメントQプライムに10年以上マネージメントを任せてきたことも彼らの成功に寄与している。
[編集] ナップスター論争
2000年4月に、メタリカがナップスターおよび大学3校を相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こしたのが発端。一部のユーザーから「メタリカはBIGになって金の亡者となった」と非難を受ける一方、ミュージシャン側からは「メタリカの主張に賛同する」という動きが出るなど、一連の社会問題に発展。
2000年7月にナップスターの運営するウェブサイトに対して北カリフォルニア連邦地裁が閉鎖命令を下すものの、2001年2月にサンフランシスコ第9巡回区連邦控訴裁判所が北カリフォルニア連邦地裁の判決を覆し、サイトの継続を認める判決を下す。
2001年7月に、メタリカとナップスターが双方歩み寄る形で決着(詳細は公表されず)。
直接の関連はないが、アル・ヤンコビックが2006年に『Don't Download This Song』という楽曲でこの論争に触れている。
[編集] 日本公演
- 11月15日 渋谷公会堂、17日 愛知県勤労会館、18日 フェスティバルホール、19日,20日 中野サンプラザ
- 1991年 "FINAL COUNTDOWN '91"
- 12月31日 東京ドーム
- 3月16日,17日 国立代々木競技場第一体育館、18日 横浜アリーナ、21日 福岡サンパレス、22日 大阪城ホール、23日 名古屋センチュリーホール
- 11月6日,7日 国立代々木競技場第一体育館、9日 真駒内アイスアリーナ、11日 さいたまスーパーアリーナ、13日 大阪城ホール、14日 名古屋レインボーホール
- 8月12日 千葉マリンスタジアム、13日 大阪WTCオープンエアスタジアム
[編集] メンバー
[編集] 現在のメンバー
- ジェームズ・ヘットフィールド(James Hetfield, 1963年8月3日 - ) (Vo/G)
- アメリカカリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。おもにリードギター担当。ジョー・サトリアーニの生徒である。
[編集] 元メンバー
- ジェームズの幼なじみであり、メタリカの初代ベーシスト。
- メガデスのデイヴ・ムステインも初期メンバーの一人でありデビュー前まで所属していたが、ジェームズらとの確執により、1stアルバムのレコーディング直前に解雇された。
- デイヴ・ムステインはメタリカのリフスタイルは自分が作り上げたと自称しており、またメタリカの1st - 2ndアルバムの何曲かにも彼の名前はクレジットされている。デイヴ曰く「メンバーの誰かが犬をいじめていた。俺はそれに腹が立って非難した(当時、ドラッグとアルコールの問題を抱えていたことを考えれば、実際には怒り狂ったであろう)ところ、俺がクビにされた。動物をいじめる奴は最低だ」とのことらしいが、音楽面ではなく生活態度と人間性により解雇されたというのが真相だろう。
- 1st~3rdアルバムのベーシストであるが、1986年の事故死以来『伝説のベーシスト』としてカリスマ視されている。ベルボトムジーンズは彼のトレードマークでもあった。
- 初期メタリカの音楽性に大きな影響を与えたコンポーザーであり、その影響はクリフの手が入る前の1stアルバムと2nd~3rdアルバムを聴けば判るとおり、無機質だったサウンドに叙情的なニュアンスやプログレッシブな構成美を導入させた。
- また、ベースのジミヘンとも呼ばれる程、奇妙奇天烈且つアグレッシヴなプレイをする個性的なベーシストでもあった。
- 1986年9月27日(現地時間)、スウェーデンをツアー中のバスが交通事故を起こし、クリフは不運にもバスの下敷きになり、帰らぬ人になってしまった。そのときのエピソードとして、その日たまたまカークがクリフとベッドの位置をかけてカードをやり、クリフは負けてベッドを交換、そして帰らぬ人となったのだと言う。後に初期メタリカアイテム、クリフ追悼ビデオ、「クリフに捧ぐ」(素材はライブをファンがカメラで盗み撮りしたものなどが採用され編集されている)が発売されている。
- フロットサム・アンド・ジェットサムの元リーダー兼ベーシスト。ライブでのアグレッシブなステージングと咆哮系バックコーラスはファンの評価も高かった。「自身のサイド・プロジェクトが認められなかった」ことを理由にメタリカ脱退。脱退後はエコーブレイン、オジー・オズボーンやヴォイヴォドで活躍した。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] オリジナル・アルバム
- キル・エム・オール - Kill 'em All (1983)
Produced by Paul Curcio ※1984年に日本で発売された際の邦題は「血染めの鉄槌(ハンマー)」。
- ライド・ザ・ライトニング - Ride The Lightning (1984)
Produced by Metallica
- メタル・マスター - Master Of Puppets (1986)
Produced by Metallica and Flemming Rassmussen
- メタル・ジャスティス - ...And Justice For All (1988)
Produced by Metallica with Fleming Rassmussan
- メタリカ(通称『ブラック・アルバム』) - Metallica (1991)
Produced by Bob Rock with Hetfield & Ulrich
- ロード - Load (1996)
Produced by Bob Rock with Hetfield & Ulrich
- リロード - Reload (1997)
Produced by Bob Rock with Hetfield & Ulrich
- ガレージ・インク - Garage Inc. (1998)
Produced by Bob Rock with Hetfield & Ulrich
- S&M (1999)
Produced by Bob Rock with Hetfield, Ulrich & Kamen
- セイント・アンガー - St.Anger (2003)
Produced by Bob Rock and Metallica
[編集] ビデオ(VHS/DVD)
- ビデオ・ザ・スラッシュ~クリフに捧ぐ - Cliff 'em All! (1987)
- 2 of One (1989)
- コンプリート・シーンズ・オブ・メタリカ - A Year and a half in the life of Metallica (1992)
- メタルVOX・ライヴ! - Live Shit: Binge & Purge (VHS 1994 /DVD 2003)
- カニング・スタンツ~LOADライヴ - Cunning Stunts (1998)
- S&M (1999)
- クラシック・アルバムズ:メタリカ - Classic Albums: Metallica - The Black Album (2001)
- サム・カインド・オブ・モンスター - Some Kind of Monster (2005)
- ザ・ビデオズ 1989-2004 - The Videos 1989-2004 (2007)
[編集] 関連項目
例 BLACK END
・ BLACK IS THE END WINTER IT WILL SEND → バケツリレー 水よこせ
・OPPOSITION CONTRADICTION PREMONITION → アホでしょ バカでしょ ドラえもんでしょ
THROUGH THE NEVER
・TWISING TURNING THROUGH THE NEVER → 寿司 鳥 風呂 寝ろ
特徴として、命令形口調の空耳が多い
[編集] 外部リンク
- Metallica.com公式サイト(英語)
- ユニバーサルミュージック内公式ページ
- メタリカ歌詞