お笑いオンステージ
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お笑いオンステージ(おわらいおんすてーじ)は、NHK総合テレビで1972年4月8日から1982年4月4日まで放送されていたバラエティ番組。 放送時間帯は、はじめの1年間は、毎週土曜日の20:00~20:40頃。その後は毎週日曜日の19:20~19:59となる。 総合司会は三波伸介が務めた。
番組は、「てんぷく笑劇場」と「減点パパ」(放送時間移動後開始。後に『減点ファミリー』に改称。なお、放送時間移動前は娘と父親のお見合いコーナーだったようである)の2部構成となる。 視聴者は大河ドラマを見る前の定番番組(放送時間移動後)と位置つけていた。
ただし、コーナーに分かれている形式が災いして、(放送時間移動後は)19:30頃より他局にチャンネルを替えられることも多かった。 (放送時間移動前は、「8時だョ!全員集合」(TBS)などが競合した。これが放送時間帯移動の一因だった可能性もある。) とりわけ、低年齢の子供のいる世帯では、「世界名作劇場」枠(フジテレビ)にチャンネルを替えられることが多く、したがって同番組は「てんぷく笑劇場」の前半と「減点パパ」のラストだけしか見られなかった世帯も多い。
しかしこうした視聴でも十分存在感があった。
なお、ラストには、子供の歌で「大きなまる」という歌が歌われた。父を思う子供の気持ちが歌詞に歌われている。
日本テレビ系「笑点」(1981年には20時から日曜お笑い劇場→日曜8時!ドパンチ放送!!も掛け持ちした)とともに、三波が司会を務めた日曜日の看板番組でもあった。
[編集] 内容
[編集] てんぷく笑劇場
三波伸介をメインとしたコメディコーナー。出演は三波と中村メイコ、伊東四朗、小松政夫、東八郎、ポール牧ほか。人情喜劇がこのコーナーの目玉だった。
三波が男性役の場合、大抵は三波田伸吉という役名であり、粗暴だが人情家といった役が多かった。なお、中村メイコの役名はいつも本名である(神津)五月であった。概ね三波と中村は夫婦役であるが、ある時は嫁姑、またあるときは幼なじみなどいくつかの設定があった。なお、伊東は初期の数年間で降板。谷幹一や由利徹など東京軽演劇でお馴染みの役者が脇を固めることになった。脚本は前川宏司が担当していた。
タイトルの「てんぷく」は三波と伊東が在籍していた「てんぷくトリオ」から採ったもの。「てんぷくトリオ」は本来「転覆トリオ」であるが、この番組では「天福」の文字が当てられ、セットの看板などで用いられていた。
[編集] 減点パパ(減点ファミリー)
三波伸介とゲストの芸能人の家族とのトークコーナー。最初は家族(通常は子供)が出てきて、三波がゲストの芸能人の顔の特徴について質問をしながら、大きなパネルに似顔絵を描く。描き上がったところで、三波が「お父さん(お母さん、お爺さん等の場合もあり)を呼んでください」と子供を促し、子供に「パパ~」「お父さ~ん」などと呼ばれてゲストが登場する(この時、はじめてゲストが誰なのかわかる)。三波はゲストに対し「○○君がお父さんにやめてほしいと思っていることは何でしょう?」などと家族についてのクイズを出し、正解すると似顔絵の周りに○、間違えると×の札を付ける。間違えると、三波に「違います」と冷たく言い放たれて面食らったり、子供の発言に三波やゲストが驚いたり爆笑したりするなど、三波の巧みな話術でゲストの意外な一面を見られることが魅力となっていた。コーナーの最後に、ゲストについて子供が書いた作文を子供自ら読み上げる。ゲストや三波が思わず涙を流すことも多く、最後には三波が似顔絵の上に大きな○の札をつけて丸くおさめる。三波は、特に感動したときには「もう全部(○を)つけちゃう。あるだけつけちゃう」などと言いながら、大きな○をつけた後にも、残っている○の札をパネルに全部貼り付けることもあった。もともと登場する芸能人は父親のみであったが、ある日「私にはお父さんがいないので『減点パパ』には出られない」との投書があったのを機に、『減点ファミリー』に改題し、母親や祖父母なども登場するようになった。
なお、当初後半のコーナーは笑福亭仁鶴を進行役とするコーナーであったが、1973年5月から、この『減点パパ』コーナーに変更された。
NHK総合 日曜19:20~19:59の番組 | ||
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