アイヌ神謡集
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アイヌ神謡集(あいぬしんようしゅう)は、知里幸恵が編纂・翻訳したアイヌの神謡(カムイユカラ)集。
1920年11月、知里幸恵が17歳の時に、金田一京助に勧められて幼い頃から祖母モナシノウクや叔母の金成マツより聞いていた「カムイユカラ」を金田一から送られてきたノートにアイヌ語で記し始める。翌年、そのノートを金田一京助に送る。1922年に『アイヌ神謡集』の草稿執筆を開始。金田一の勧めにより同年5月に上京。金田一家で『アイヌ神謡集』の原稿を書き終える。校正も済ませ後は発行するだけの状態にまでに仕上げたが、同年9月18日、心臓麻痺により急逝。翌年の1923年に金田一の尽力によって『アイヌ神謡集』を上梓し、郷土研究社から発行された。
[編集] 『アイヌ神謡集』執筆の動機
『アイヌ神謡集』執筆の動機は、アイヌ研究家の金田一京助に、「カムイユカラ」の価値を説かれ、勧められたからであるが、これは外面的なことであり、知里幸恵の内面的な動機は、『アイヌ神謡集』の「序」に書かれている。この「序」は名文であり、知里幸恵の信条や思いが伝わる文である。
アイヌの自由な天地、天真爛漫に野山を駆けめぐった土地であった北海道の大地が、明治以降、急速に開発され、近代化したことが大正11年3月1日の日付をもつ「序」からわかる。それは「狩猟・採集生活」をしていたアイヌの人々にとっては、自然の破壊ばかりでなく、同時に生活を追われることでもあり、平和な日々をも壊すものであった。この「序」には、亡びゆく民族、言語、神話ということを自覚し、祈りにも似た思いで語り継いでいこうというせつない願いがあり、アイヌの文化を守りたいという、切々としたその思いをこの「序」は見事に伝えている。『アイヌ神謡集』の完成・出版によって、若いアイヌの女性が自らの命を削って、民族の神話を伝えた。その真の執筆動機、その思いはこの「序」から十分すぎるほど読み取れる。また、近代から現代まで続いた「開発」がどれほど自然を破壊してきたか、この「序」は、1922年という20世紀の初めの時点で訴えており、知里幸恵は「先見の明」を持っていたとも思われる。
[編集] 収録されたユカラ
- シマフクロウ神が自らをうたった謡「銀の滴降る降るまはりに」 Kamuichikap Kamui yaieyukar, "Shirokanipe ranran pishkan"
- キツネが自ら歌った謡「トワトワト」 Chironnup yaieyukar, "Towa towa to"
- キツネが自ら歌った謡「ハイクンテレケ ハイコシテムトリ」 Chironnup yaieyukar, "Haikunterke Haikoshitemturi"
- 兎が自ら歌った謡「サムパヤ テレケ」 Isepo yaieyukar, "Sampaya terke"
- 谷地の魔が自ら歌った歌「ハリツ クンナ」 Nitatorunpe yaieyukar, "Harit kunna"
- 小狼の神が自ら歌った謡「ホテナオ」 Pon Horkeukamui yaieyukar, "Hotenao"
- 梟の神が自ら歌った謡「コンクワ」 Kamuichikap Kamui yaieyukar, "Konkuwa"
- 海の神(シャチ)が自ら歌った謡「アトイカトマトマキ、クントテアシフム、フム!」 Repun Kamui yaieyukar, "Atuika tomatomaki kuntuteashi hm hm !"
- 蛙が自らを歌った謡「トーロロ ハンロク ハンロク!」 Terkepi yaieyukar, "Tororo hanrok hanrok !"
- 小オキキリムイが自ら歌った謡「クツニサ クトンクトン」 Pon Okikirmui yaieyukar, "Kutnisa kutunkutun"
- 小オキキリムイが自ら歌った謡「此の砂赤い赤い」 Pon Okikirmui yaieyukar, "Tanota hurehure"
- 獺が自ら歌った謡「カツパレウレウカツパ」 Esaman yaieyukar, "Kappa reureu kappa"
- 沼貝が自ら歌った謡「トヌペカランラン」 Pipa yaieyukar, "Tonupeka ranran"