アンドリュー・ルーグ・オールダム
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アンドリュー・ルーグ・オールダム(Andrew Loog Oldham, 1944年1月29日 - )は、イギリスの音楽プロデューサー。彼は1960年代にローリング・ストーンズのマネージャーをしていたことで最もよく知られる。
ビートルズのマネージャーブライアン・エプスタインの下でビートルズの宣伝係を担当後、ストーンズのマネージャーになる。 オールダムはストーンズのためにマネージャー、レコード・プロデューサー、パブリシテイ担当の3つの役割を果たした。彼はその宣伝の才能でストーンズを国際的な評判ヘ導いた。ストーンズを不良スタイルで売り出したのも、キース・リチャーズの「s」を外して「リチャード」にしたのも、ピアニストのイアン・スチュワートを正式メンバーから外したのも彼の提案であった。しかしながらストーンズと薬物の問題で彼は1966年になるとストーンズとの契約をアラン・クラインに譲り渡すことを考えるようになる。オールダムは1965年にイミディエイト・レコードを設立し、スモール・フェイセズのマネージメントを行う。スティーヴ・マリオットがスモール・フェイセズを脱退した後、彼はマリオットがハンブル・パイを結成するのに協力した。
オールダムのストーンズに対するスヴェンガーリとしての役割は、ミック・ジャガーとの緊張関係に結びついた。ジャガーは初期に於いてオールダムの監督下にあって幸福であった。オールダムはジャガーがブライアン・ジョーンズに代わってバンドの主導権を握ることに協力した。しかしながらジャガーが一旦バンドの主導権を握ると、『ピグマリオン』の中のヒギンズ教授とイライザの関係のように、彼はオールダムの支配を拒絶するようになる。オールダムとバンドは1967年後半に袂を分かつが、彼らの関係は緊張状態にあった。後年オールダムと、ジャガーを除くストーンズのメンバーとの関係は回復されたが、ジャガーとオールダムの関係は未だ改善されていない。
オールダムは1970年代にアバの伝記を執筆し、二冊の自叙伝(「Stoned」(1998)、「2Stoned」(2001))を執筆した。