スティーヴ・マリオット
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スティーヴ・マリオット'(Steve Marriott, 1945年1月30日 - 1991年4月20日)は、イギリスのロックミュージシャン、作曲家およびギタリスト。 その独自の歌唱方法は後の英国ロックシーンに多大なる影響を与えた。
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[編集] 経歴
[編集] 幼少期
幼少時は子役として舞台で活躍した。イアン・カーマイケルと『オリバー!』に出演し、十代初期には二本の映画に出演した。一本はピーター・セラーズとの共演であった。
[編集] 音楽活動
彼の業績は音楽活動が最も知られる。
英国人としては例外的に小柄な体格にもかかわらず、彼のヴォーカルはソウルフルで迫力があった。R&Bをリスペクトし追いかけ続けた事で生み出されたものである。 彼は60年代から70年代にかけてのイギリスにおける最良のロックおよびソウル・ヴォーカリストとして広く賞賛されており多くのフォロワーを生み出した。 さらに彼は熟達したソングライターであった。
子役時代に「オリバー!」で既にレコードを出していたが、ソロ作品を経て、The Momentsにリードボーカルとして参加しキンクスのカバーYou Really Got Meを出すもすぐに頓挫し解散する。 その後、彼はロンドンの楽器屋で働く。そこでロニー・レーンらと出会いスモールフェイセズを結成した。長きにわたる音楽活動の本格的なスタートである。
1965年から1969年までスモール・フェイセズで活動し、1969年から1975年まではハンブル・パイで活動した。
[編集] スモール・フェイセズ
スモール・フェイセズは、イギリスの60年代後半における最も成功したポップ・グループの一つである。 マリオットはスモール・フェイセズのヒット曲の大半「オール・オア・ナッシング」「イチクー・パーク」「レイジー・サンデー」「ティン・ソルジャー」といった曲を自作またはベーシストのロニー・レーンと共作した。彼はグループが十代のポップグループとして人気が高まったことと、アメリカ市場で成功できなかったことに不満を感じ、1969年に突然グループを脱退した。
[編集] ハンブル・パイ 初期
スモール・フェイセズ脱退直後に彼は新バンド、ハンブル・パイをギタリストのピーター・フランプトン、ドラマーのジェリー・シャーリー、ベーシストのグレッグ・リドリー(元スプーキー・トゥース)と結成する。よく勘違いされるのだが、元々はフランプトンが呼びかけて作ったグループである。 エセックスのマリオットの自宅でのリハーサルの後、彼らはファースト・アルバム『アズ・セーフ・アズ・イエスタディ』を、アンドリュー・ルーグ・オールダムのイミディエイト・レーベルからリリースした。 「ナチュラル・ボーン・ブギー」はアメリカでトップ5ヒットとなった。
ハンブル・パイは最初のアメリカ・ツアー終了後イギリスに帰国すると、イミディエイト・レーベルの破産に遭遇する。 イミディエイトはその取締役の一人が会社の利益の多くを不正に吸い上げていたことが後に知れ渡った。マリオットもレーンも、彼らの作品に関する権利を三十年以上同社に保有されていたにもかかわらず、生前に印税収入を得ることはほとんど無かった。 その後はA&Mレコードと契約し、HUMBLE PIE(大地と海の歌)を1970.7にリリースする。
[編集] ハンブル・パイ 後期
N.Y.のフィルモアイーストにて1971年5月28日と29日に行われたライブを収録したPERFORMANCE-ROCKIN' THE FILLMOREを発表する。火が出るように熱く、ヘビィかつブラック魂溢れる演奏で、このアルバムは瞬く間に傑作としての評価を手にする。ただリリースに先立ち、長年の盟友ピーター・フランプトンはグループを脱退している。以降このグループはマリオット色をアルバムごとに強めていくのだが、1975年をもって解散状態になる。
[編集] スモール・フェイセズ再結成
イッチクー・パークのリバイバルヒットにより、ロニー・レーン以外のメンバーで再結成。 2枚のアルバムを発表するもすぐに解散する。
[編集] 80年代
80年代に入り新生ハンブル・パイを立ち上げる。 その後は小規模な演奏活動が中心となる。
[編集] 90年代
盟友ピーター・フランプトンと再開する。時を経てお互いを認め合い意気投合し、二人で活動を再開する予定を立てていたが残念ながら計画は果たされる事は無かった。
マリオットは、1991年4月20日にエセックスの自宅で悲劇的な焼死を遂げる。
海外旅行から帰宅した彼が、たばこの火を付けたまま寝込んでしまったのが原因であった。
[編集] こぼれ話
マリオットの飼い犬シーマスは、ピンク・フロイドのアルバム『おせっかい』にその名を付けた曲「シーマス」が収録された。シーマスの鳴き声はスモール・フェイセズの「ユニヴァーサル」にも収録されている。マリオットはその鳴き声を自宅の裏庭でカセットレコーダーを使って録音した。シーマスはピンク・フロイドのライブ・フィルム『ライブ・アット・ポンペイ』にも現れる。
1970年代にマリオットがエセックスに購入した大きな別荘は、1980年代にイギリスのテレビシリーズ『ラヴジョイ』のタイトル画面に使用された。
元ジャム、スタイル・カウンシルのポール・ウェラーはマリオットの大ファンである。ジャム時代は何度もテープを送りつけて来たらしい。ただしマリオットは一度もそれを聞くことは無かった。
[編集] 外部リンク
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