アンヌ (ブルターニュ女公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンヌ・ド・ブルターニュ(Anne de Bretagne、1477年1月25日 - 1514年1月19日)は独立したブルターニュ公国最後の女公(在位1488年 - 1514年)。また2代のフランス王の王妃となった。
[編集] 生涯
アンヌは1477年、ブルターニュ公フランソワ2世の一人娘として生まれた。ケルト系ブルトン人の国ブルターニュは中世フランス王国に形式的に臣従していたが、実質的には独立公国であった。1488年フランソワ2世が落馬事故により突如死去すると、他に後継者もいないので、アンヌが11歳未婚のまま女公(女公爵)となったが、摂政も定まらず、ブルターニュの領主たちは支配権をめぐって互いに争った。
この内紛に乗じてヴァロワ朝フランス王シャルル8世がブルターニュに侵入し、アンヌとの結婚を約定させた。やむなくフランスに赴いたアンヌは同年12月6日シャルル8世と結婚、4人の子を儲けたが、いずれも成人には達しなかった。
1498年シャルル8世が事故死すると、直系の後継者がいないため、王族のオルレアン公がルイ12世として即位した。ルイ12世もブルターニュに対する野心から、王太后となったアンヌと再婚した。この結婚でクロードとルネの2女が産まれたが、フランス王家はサリカ法により女子が君主となるのを禁止しているため、クロードは皇太子に指名された王族アングレーム公フランソワ(後のフランソワ1世)と結婚した。一方、ルネはフェラーラ公エルコレ2世と結婚した。
アンヌが1514年に死去すると、ブルターニュ公位は名目的にクロードが継承したが、夫の皇太子フランソワもブルターニュ公を名乗った。やがて1532年クロードが夫に譲る形でブルターニュ公国はフランスに併合された。
アンヌは死後自分の心臓をブルターニュに埋葬するように遺言し、実行された。フランス王妃となっても、心は生まれ育ったブルターニュにあったのだろう。その娘クロードはフランス王女として生まれたので、アンヌの死後ブルターニュ女公を継いでも名目だけであった。
[編集] 外部リンク
- La Duchesse Anne(フランス語)