フランス王国
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フランス王国(ふらんすおうこく, le Royaume de France)とは、フランスを支配した各王朝国家のことを意味する。フランスではカペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝、オルレアン朝などの時代が、それぞれフランス王国である。ただし、ボナパルト朝の時代は帝政であったため、フランス帝国となり、フランス王国とは違うので注意を要する。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 王国成立とカペー朝
西フランク王国のカロリング朝が断絶したあと、987年に西フランク王ロベール1世(ロベール朝)の孫にあたるパリ伯ユーグ・カペーがフランス王に選ばれ、カペー朝が成立した。成立当初は権力基盤が非常に弱くパリ周辺を抑えるのみであったが、フィリップ2世やフィリップ4世の時代に王権を拡大させイングランドやローマ教皇の勢力に対しても優位に立った。1328年まで14代の王を輩出し、またブルボン朝に至るまでフランス王国の歴代の王朝はみなカペー家の分族から出た。
[編集] ヴァロワ朝
カペー朝断絶後、カペー家の支流ヴァロワ家からフィリップが即位しヴァロワ朝が始まった。初期には1339年に勃発した百年戦争に苦しんだが、この戦争を通じて英仏両国で国民意識が形成された。後期にはイタリアへと領土的野心を向け1494年からイタリア戦争を開始したが、ハプスブルク家によって挟撃され敗北した。1589年までの間に13代の王を輩出した。なお、1498年以降は、正式にはヴァロワ・オルレアン朝、フランソワ1世以降はヴァロワ・オルレアン・アングレーム朝とも呼ばれる。
[編集] ブルボン朝
詳細はフランスブルボン朝およびフランス復古王政を参照。(1589年-1792年、1814年-1830年)
ヴァロワ朝が断絶し、ブルボン家のアンリ4世がフランス王として即位したことでブルボン朝が成立した。ルイ14世の時代には領土拡大などの成果を上げたが、国民には重税を課しフランス革命を招いた。ブルボン家はフランス革命で王位を追われた後、ナポレオン1世の失脚により王政復古を成し遂げたが、七月革命によって再度王位を追われた。
[編集] オルレアン朝
七月革命により、新たにブルボン朝の一族であるオルレアン家のルイ・フィリップが即位しオルレアン朝が成立した。ルイ・フィリップの王政は七月王政とも呼ばれる。ルイは内閣制度を導入して、立憲王政の成立やフランス経済の発展を目指した。しかし貧富の差の拡大などもあって国民の不満は爆発し二月革命を引き起こした。この革命でフランス第三共和政が成立し、長きにわたったフランスの王政も終焉した。
[編集] サリカ法
詳細はサリカ法典を参照
フランス王国においては、他家(特にプランタジネット朝)の干渉を恐れて、サリカ法を根拠として女系を含む女性の王位継承権を廃止したため、フランス歴代国王はすべてユーグ・カペーの男系子孫の男王である。ヨーロッパでは一般に、女系での王位継承や女王が珍しくなく、フランス王国の特徴をなしている。現在、フランスの王統の命脈を保つ人物は、パリ伯と、スペインのブルボン家のみである。王位継承権を持つこの両者は、今なお、フランスの王政復古への望みを繋いでいる。