アーサー・テューダー
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アーサー・テューダー(Arthur Tuder、1486年9月20日 – 1502年4月2日)はイングランド王ヘンリー7世と王妃エリザベスの息子。長男であったことから王太子(ウェールズ公)になったが、15歳の若さで没し、即位することはなかった。
アーサーの名前は、アーサー王に因んでヘンリー7世がつけたと伝えられている。「大イングランド」への野望を秘めた命名であった。
1501年、アーサーはアラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イザベル1世の末娘カタリーナ・デ・アラゴーン(英語名:キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon,1485年 - 1536年)と結婚する。2人の婚約は、アーサーがわずか2歳のときであった。つまりこの結婚はアーサーの意思で行ったものでなく、政略結婚であった。カスティーリャ・アラゴン王家はランカスター家、ヨーク家の祖とそれぞれ姻戚関係にあったことから、アーサーにとってキャサリンは父方でも母方でも遠縁に当たった。アーサーの死後、キャサリンはアーサーの弟ヘンリー(後のヘンリー8世)と再婚した。
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