イジャスラフ2世
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イジャスラフ2世(Изяслав II Мстиславич, 1097年 - 1154年)はキエフ大公(在位:1146年 - 1154年)。父はムスチスラフ1世、母はスウェーデン王女クリスティーナ。
1097年にノヴゴロドに生まれる。
1132年にペレヤスラヴリ・ユージヌィーの公になる。
1146年に、フセヴォロド2世の跡を継いでキエフ大公になったイーゴリ2世を攻め立て、彼を打ち破り、キエフ大公位につく。久々にモノマフ一門がキエフ大公位に就いたことになる。
1150年に一時、ブャチェスラフにキエフ大公位を奪われる。
ポーランド王女、リトアニア公女、アブハジア公女と結婚し、三人の息子を得る(ムスチスラフ(後の2世)、ヤロポルク、ヤロスラフ)。娘はハンガリー王妃になった。
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