イデア論
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イデア論(イデアろん)は、哲学者プラトンが提唱した世界観。個別の事物の背後には、その本質であるイデア(Idea)が実在すると主張する哲学の存在論のひとつ。
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[編集] 由来
ヘラクレイトスは万物は流転すると説き、ソフィスト達はすべての物は主観にとってそのように見えるだけであり、客観的な真理は存在しないことを説いていた。これでは人間は何ら真理を把握することは不可能という結論になってしまう。プラトンは変転する現象の背後にある普遍的なものの存在を主張した。
プラトンはイデアとエイドス(eidos)とをほとんど区別せずに使っている。どちらも見る(idein)の名詞化されたもので、形や表れ、姿を意味する日常語である。アリストテレスのイデア論批判によって、エイドスにイデアと異なるアリストテレス的意味(質料に対比される形相)が与えられた。
[編集] イデア論の概要
イデアとは最高度に抽象的な完全不滅の真実の実在的存在であり、感覚的事物はその影であるとする。イデアが存在しているのがイデア界(本質界)で、その陰が投影されているのがわれわれ人間の住む現実界となる。
例えば、現実の世界に、円形をした物はたくさん存在するが、いずれも完全な円ではないし円そのものでもない。しかし、これらの円の背後には永遠不変で、完璧、かつ抽象的な円のひな型であるイデアがあるとする。また、人間が花を見て美しいと感じるのは「美」というイデアが実在しており、個別の花に「美」のイデアが分有されているからである。ソクラテスとアリストテレスは違う存在であるが、共に「人間」のイデアを分有している。
人間の持つ感覚は不完全であるため、五感によってイデアを捉えることは出来ない。プラトンは、理性で認識することによってのみ、イデアに至ることが出来ると考えた。イデアが実在する、と考える点で観念論(idealism)、実念論(実在論)(realism)の系譜に属する。
[編集] イデア論の矛盾
例えば「ソクラテス」という個別に対応するイデアとして「人間」「ギリシア人」「男性」「哲学者」などのイデアが存在するとすれば、無数(無限)にイデアが存在することになってしまう。それらのイデア同士がどのような関係にあるのか、また、イデアと個別はどのような関連性にあるのか、不明確である。プラトンは最高のイデアとして「善のイデア」について述べているが、他のイデアとどのような関係にあるのかも不明である。
プラトン自身もこうした矛盾に気が付いており、中期の思想と後期の思想には違いがあるとされる(『ティマイオス』におけるデミウルゴスの想定。なお、後期のプラトンはイデア説を放棄したと主張する研究者もいる)。プラトンの弟子のアリストテレスは、イデア論を批判するところから自己の哲学を確立していった。およそ500年後のプロティノスは、万物は一者(善のイデア)から流出したという解釈で矛盾を解決しようとした(ネオプラトニズム)。
[編集] 関連項目
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