ウータン・クラン
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ウータン・クラン(Wu-Tang Clan)は、アメリカのヒップホップグループ。1993年に『燃えよウータン』(Enter the Wu-Tang 36 Chambers)でデビュー。2007年SRC Recordsのオフィシャルブログにレザが復活を示唆するコメントの映像を寄せている。
[編集] メンバー
彼は非常に特徴的な、凡そ難解とも言えるラップのスタイルを見せる。また、詩を書くことが非常に早いことでも知られている。異論もあるが、グループで最も堅実な存在であると言える。初のアルバム「アイアンマン」も好評を集め、レイクウォンのアルバム「オンリー・ビルド・フォー・キューバン・リンクス」でも、重要な役割を果たした。2枚目のアルバム「スプリーム・クライアンテル」は、「ウータンを救った」との評もなされた。その後に発表された「プリティ・トニー・アルバム」(2004)や、「モア・フィッシュ」(2006)も、同等の成功を収めてきた。
- GZA(ジーザ)
グループの中で最高齢であり、最も長い経験を持った存在。未だヒップホップがニューヨークの局地的な現象に過ぎなかった1976年の時点で、既にラップを始めていた。彼はまた、1991年に初アルバム「ワーズ・フロム・ザ・ジーニアス」を発表しており、これはグループの中で最も早くレコードデビューを経験したことになる。彼のラップの特徴は、くつろいだ雰囲気の言葉の流れに、複雑な隠喩の使用を行い、日本の時代劇映画、チェス、ファイブ・パーセント・ネーションの教えなどに言及することである。また、ウータン・クランの一員としての初のアルバム「リキッド・ソード」は、グループの仲間たちが発表した全てのソロアルバムの中で最高傑作と見なされることが多い。この作品に匹敵するのは、レイクウォンの「オンリー・ビルド・フォー・キューバン・リンクス」のみと言われている。
ウータン・クランの人気者の1人。グループのアルバムに加え、グループの仲間たちのソロアルバムに顔見せすることで、注目を集めるようになっていった。ファンの中では、グループのアルバム第1弾「ウータン・フォーエバー」の中では、傑出した存在であったと考えられていたが、その後のソロアルバムは、期待されたほどの成功を収めることはできなかった。彼は複雑なやり方で韻を踏むことができ、またあらゆる楽曲においても、その詩の中で幾度となく言葉の流れに変化をつけることができることで知られている。彼はプロデューサーの手腕も評価されており、ゴーストフェイス・キラやメソッドマンといったグループの仲間に加え、ビッグ・パンやプロディジーなどのプロデュースも行ってきた。
彼はウータン・クランが結成された当時、ラップの経験がなかった唯一のメンバーである。そういうわけで、グループ創世記には、GZAから色々と助言を受けてきた。グループのデビューアルバムでは、自身が収監されていたこともあり、殆ど出番がなかったが、「ダ・ミステリー・オブ・クロスボックシング」では、素晴らしいパフォーマンスを見せている。彼は、グループの中で最後にソロデビューを果たした人物でもある。但し、そのアルバム「ノー・セッド・デイト」は、2000年以降に発表されたウータン・クラン関連のアルバムの中では、最高傑作の1つに数えられている。
グループ最年少の一員であり、アルバム「ティカル」で、グループから1番でソロデビューを果たした。グループの中で最高の成功を収めており、メアリー・J・ブライジとの「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー/ユア・オール・アイ・ニード」でプラチナ・ディスクとなり、グラミー賞を獲得した。また数多くの映画やテレビに出演してきており、中でも、1999年にアルバム「ブラック・アウト」を共同で発表したレッドマンとの共演作である、コメディー映画「ハウ・ハイ」と、シチュエーション喜劇の「メソッド&レッド」の2作品が有名である。
彼は、グループの中で、最も個性的で、突飛な存在である。彼の狂気じみた行動は、メディアの注目を集めるだけでなく、警察からも目をつけられることになった。メソッドマンと並んで、商業的な成功を伴う人気を集めた存在であり、マライア・キャリーのような業界の大物との共演も果たした。2004年11月13日に、ウータン・クランのレコーディング・スタジオで倒れ、数時間後に死亡した。その後の検死によれば、死因は、麻薬の過剰摂取であるとのことである。
- レイクウォン・ザ・シェフ
「詩的な味付け」という意味合いで、「シェフ」というニックネームを付けられているが、その名前には、コカインをクラックに「調理する」ことに秀でていることにも由来している。ラップにおいては、ニューヨークの俗語を多用し、情熱的かつ、早い調子で言葉を発していくことが多い。彼の発表した影響力の強いアルバム「オンリー・ビルト・フォー・キューバン・リンクス」は、1990年代中期以降のマフィア風ラップの火付け役であると言われており、またウータン・クラン関連の最高傑作の1つに数えられることが多い。
- RZA(リーザ)
彼は事実上のグループの頭である。彼は「エンター・ザ・ウータン」のすべての曲をプロデュースし、その後のアルバムの多くの楽曲をも出掛けてきた。また、グループの仲間たちが発表するソロの作品、特に初期の作品の多くを手がけてきた。ジム・ジャームッシュによって、「ゴースト・ドッグ:ザ・ウェイ・オブ・ザ・サムライ」が成功を収めたことで、クエンティン・タランティーノの「キル・ビル」も含め、いくつかのハリウッド映画の音楽を手がけた。最近では、アニメシリーズの「アフロサムライ」の音楽を手がけた。
ウータン・クランの中では、それほど人気が高くない存在。「36チャンバーズ」の製作時に収監されていたことで、殆ど登場することが出来なかったの理由の1つと考えられる。ソロ活動もぱっとしなかった。このことで、一時期RZAともめ、ビーフに至ったが、現在では既に和解に至っている。