エリーザベト (ルクセンブルク女公)
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エリーザベト・フォン・ゲルリッツ(Elisabeth von Görlitz、1390年9月? - 1451年8月2日)はルクセンブルク女公(在位:1411年 - 1443年)。ルクセンブルク家最後のルクセンブルク領主。神聖ローマ皇帝カール4世の息子ゲルリッツ公ヨハンの一人娘で相続人。母はスウェーデン王兼メクレンブルク=シュヴェリーン公アルブレヒトの娘リヒャルディス。
伯父の皇帝ジギスムントは自身の従兄ヨープストと抗争中、既にヨープストの所領ルクセンブルク公領を抵当に入れてエリーザベトから借金をしていた。これに対する返済の一種として、エリーザベトはルクセンブルク女公の座を手に入れた。
大叔父のルクセンブルク公ヴェンツェル1世の死後ブラバント公となったアントワーヌと1409年に結婚し、2児を儲けるがいずれも早死にした。アントワーヌはルクセンブルク貴族の反乱に対して3度エリーザベトを守ったが、1415年に死亡した。
下バイエルン=シュトラウビング公ヨハン3世が2人目の夫となったが、1427年に死別するとエリーザベトは多額の借金を抱えた。これをなんとかするため、1441年にブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)と会談を持ち、借金のかたとしてエリーザベトの死後、フィリップがルクセンブルクを継承する事とした。しかしフィリップは1443年に軍を率いてルクセンブルクに出兵し、エリーザベトを追放してルクセンブルクを併合した。
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カテゴリ: ルクセンブルクの君主 | ルクセンブルク家 | 1390年生 | 1451年没