エルヴィン・フォン・ウィッツレーベン
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エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン(Erwin von Witzleben, 1881年12月4日 - 1944年8月8日)は、第二次大戦中のドイツ陸軍元帥。
彼は第一次世界大戦中に下士官として鉄十字章を受章した。彼はアドルフ・ヒトラーの戦争計画に反対する陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ(Werner von Fritsch)に対する失脚工作を非難して罷免され予備役に入った。
第二次世界大戦が始まると彼は再招集され、1940年5月のフランス侵攻でドイツ第1軍を指揮した。彼は陸軍元帥に昇任した。1942年のバルバロッサ作戦後に彼はヒトラーを再び非難し、退役させられた。
[編集] 名誉法廷
1938年と1944年7月20日のヒトラー暗殺計画に関与した罪で逮捕された。軍籍にある者は、民間人を対象とする普通裁判ではなく、軍法会議(de)で裁かれるのが通常である。ヒトラーは全ての被告を反逆罪を裁くナチ党の任命した裁判官による人民法廷(de)に付すように命令した。このために軍籍にある被告は、先ず名誉法廷(de)で審問されて軍籍を剥奪された上、人民法廷に委ねられた。名誉法廷に関わった軍人がルントシュテット元帥を長としてカイテル、シュロート、キルヒハイム、クリーベル、グデーリアンである。ここでフォン・ヴィッツレーベン元帥を含む55名の軍人が軍籍を剥奪された。29名は不問となった。フォン・ヴィッツレーベンは1944年8月8日に人民法廷で裁判長ローラント・フライスラー(Roland Freisler)に死刑を宣告され、同日処刑された。
カテゴリ: ドイツ第三帝国の軍人 | 1881年生 | 1944年没