エレオノーレ・フォン・ポルトゥガル
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エレオノーレ・ヘレナ・フォン・ポルトゥガル(Eleonore Helena von Portugal, 1436年9月18日 - 1467年9月3日)は神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の皇后。ポルトガル王ドゥアルテ1世と王妃レオノールの娘。ポルトガル名はレオノール(Leonor)。
[編集] 生涯
自ら神聖ローマ帝国の皇后となることを切望し、15歳の1452年3月16日にローマでフリードリヒ3世との結婚式を行い、3日後の3月19日に夫の戴冠式に臨んで正式に皇后となった。当時のポルトガルは海洋王国として栄えていたが、一方のハプスブルク家はまだ弱小の領邦君主に過ぎず、またフリードリヒ3世は大変な倹約家であった。結婚後にこのことを知ったエレオノーレは愕然としたが、エレオノーレの持参金によってフリードリヒ3世の経済状況は好転した。
息子マクシミリアンは陰気なフリードリヒに似なかったこともあり、当時皇帝の子ではないとも言われたが、最終的に夫婦の間には5子が生まれており、その可能性は低いとされる。エレオノーレはこの息子に大いに期待を寄せたが、言語の発達が遅く、5歳まで言葉を喋れなかったため、大変心配した。
1467年にウィーナー・ノイシュタットで崩御し、同地の聖ゲオルク教会に葬られた。後にマクシミリアン1世が崩御した際、遺言によってエレオノーレととも埋葬された。
[編集] 子女
エレオノーレはフリードリヒ3世との間に5人の子をもうけた。うち成人したのは2人だけである。