エンツォ・シーフォ
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エンツォ・シーフォ(Vincenzo "Enzo" Scifo,1966年2月19日 -)は、ベルギー出身のサッカー選手。本名はビンツェンツォ・シーフォ(「エンツォ」は「ビンツェンツォ」の愛称)。両親をイタリア人に持ち、どちらの国籍も取る事が出来た。ベルギーのサッカー協会が早いうちに代表にさせ、ベルギーを選ばせた。
W杯'90ではキーパーのミシェル・プロドームらと共に好成績が期待されたが、W杯'86のベスト4を上回る事は出来なかった。最後の10番とも呼ばれた天才ゲームメーカー。一人の天才がチーム全体を左右する良い例。
イタリアの国籍を取得していたら… と言う茶飲み話が良く聞かれる。
[編集] 所属クラブ
- RAAルヴィエロース(ベルギー)1973-1972
- アンデルレヒト(ベルギー)1982-1987
- インテル・ミラノ(イタリア)1987-1988
- FCボルドー(フランス)1988-1989
- AJオセール(フランス)1989-1991
- ASモナコ(フランス)1993-1997
- アンデルレヒト(ベルギー)1997-2000
- シャルルロワSC(ベルギー)
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