ベルギー
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- ベルギー王国
- Koninkrijk België (オランダ語)
Royaume de Belgique (フランス語)
Königreich Belgien (ドイツ語) -
(国旗) 国章 - 国の標語 : L'union fait la force(フランス語)
Eendracht maakt macht(オランダ語)
Einigkeit macht stark(ドイツ語)
(団結は強さを与える) - 国歌 : ブラバントの歌
-
公用語 オランダ語、フランス語、ドイツ語 首都 ブリュッセル 最大の都市 ブリュッセル 国王 アルベール2世 首相 ギー・ヴェルホフスタット 面積
- 総計
- 水面積率世界第136位
30,528km²
0.8%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第77位
10,348,276人
339人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
2,951億ユーロ(EUR, €)
※ベルギーのユーロ硬貨GDP(MER)
- 合計(2005年)世界第17位
3,878億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第27位
2,982億ドル
29,000ドル独立
- 宣言
- 承認オランダより
1830年10月4日
1839年通貨 ユーロ(EUR, €)
※ベルギーのユーロ硬貨(EUR)時間帯 UTC +1(DST: +2) ccTLD BE 国際電話番号 32 - 註1: 1999年までの通貨は、ベルギーフラン。
ベルギー王国(ベルギーおうこく)、通称ベルギーは、西ヨーロッパの国。立憲君主制の連邦制国家。隣国のオランダ、ルクセンブルクと合わせてベネルクス三国と呼ばれる。欧州連合(EU)加盟国で、その本部が首都ブリュッセルに置かれている。
19世紀にオランダ王国から独立した国で、オランダ語の方言であるゲルマン系のフラマン語を話す北部のフランデレン(フランドル、フランダース)地域と、フランス語を主に話す南部のワロン(ワロニー)地域とにほぼ二分される。長く単一国家であったが、ゲルマン語系住民とロマンス語系住民の言語をめぐる対立が続いたため、1993年に連邦制に移行した。
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[編集] 国名
正式名称は、オランダ語 Koninkrijk België(コーニンクレイク・ベルヒエ)、
フランス語 Royaume de Belgique(/rwajom də bɛlʒik/ ロワイヨーム・ドゥ・ベルジック)、ドイツ語 Königreich Belgien([ˈkøːnɪçraɪç ˈbɛlɡiən] ケーニヒライヒ・ベルギエン)。
公式の英語表記は、Kingdom of Belgium(キングダム・オブ・ベルジャム)。通称、Belgium. ラテン語表記もBelgium(ベルギウム)である。
日本語の表記はベルギー王国。通称はベルギー。漢字による当て字で白耳義と表記され、白と略される。
[編集] 歴史
ベルギーという名称は古代のベルガエ族に由来するといわれるが、一般にベルギーと言われるようになるのは18世紀以降である。 中世にはブルゴーニュ公国領となり、現在のオランダとともにネーデルラントと呼ばれた。アントウェルペンは当時ヨーロッパで最も富裕な都市であった。やがてハプスブルク家の支配下に入り、同家がスペインとオーストリアに分かれたときはスペイン領(1519年 - 1717年)となった。プロテスタントのオランダはハプスブルク・スペインの支配に対して独立戦争を起こし、ヴェストファーレン条約で正式に独立が認められたが、カトリックの南部ネーデルラント(現在のベルギー)はスペインの支配に留まった。
スペイン継承戦争の後、オーストリアが獲得したが(1713年 - 1793年)、フランス革命戦争でフランス軍に占領され、カンポ・フォルミオ条約によってフランスに併合された。1815年のウィーン議定書ではオランダ連合王国に編入される。しかしプロテスタント・オランダ人の支配を嫌い、1830年にベルギー独立革命が起こり、翌年イギリスなどの承認によりドイツの小領邦君主の一族ザクセン・コーブルク・ゴータ家出身のレオポルトが立憲君主となった。これが現在のベルギー王国の起源である。1839年、オランダはベルギーの独立を承認し、それまでのルクセンブルク大公国の領土から西半分(現在のリュクサンブール州)がベルギーに割譲された。
1885年にはレオポルド2世が個人の植民地としてアフリカにコンゴ自由国を領有し、1908年にはベルギーの国家的所有に移された。第一次世界大戦では1914年にドイツ帝国により、また第二次世界大戦では1940年にナチス・ドイツにより中立を侵犯され、占領された。戦後はベネルクス三国として欧州共同体 (EC)の創設に参加し、現在ブリュッセルは欧州連合 (EU)の本部、欧州議会の一部などが置かれて、EUの「首都」的な性格を帯びている。
[編集] 政治
国家元首である国王は、立法権を議会と共に行使し、行政執行権を憲法に基づき行使する。妊娠中絶が合法化された際に、当時の国王ボードゥアン1世は自身の信念に基づき中絶法案への署名を拒否したが、一時的に退位する事によりこの問題を回避した。
議会は両院制。上院は全71議席で、40議席を直接選挙で、31議席を間接選挙で選出する。下院は全150議席で、比例代表制選挙により選出する。いずれも任期は4年で、同日投票。前回選挙は2003年5月18日に投票が行われた。
連邦政府の長である首相は、議会の総選挙後に、通常は下院第1党党首が国王から指名されて就任する。そして、最大15名からなる内閣を組閣する。もしも、この後に下院の承認を得られない場合は、国王に対して辞表を提出することになる。
連邦政府は、いわゆる「大きな政府」、すなわち、福祉政策を重視する体制である(ベルギーに限らず、欧州の小規模国家は、比較的福祉重視・中道左派(社会民主主義)の勢力が強い)。現在は、中道左派政権を持つ他国同様、極右(正確には、市場重視・福祉軽視の政策、移民排斥)の台頭が著しく、これにどう対応するかが問題となることがある。
[編集] 主な政党
- フラマン系自由党
- ワロン系自由党
- フラマン系社会党(中道左派)
- ワロン系社会党(中道左派)
- フラマン系キリスト教民主党(中道右派)
- ワロン系キリスト教民主党(中道右派)
- 新フランドル同盟
- フラームス・ブロック(極右)
- 国民戦線(極右)
[編集] 地方行政区分
詳細はベルギーの地方行政区分を参照
ベルギーは1993年の憲法改正により連邦制に移行した。連邦は、ブリュッセル首都地域、フランデレン地域圏、ワロン地域圏の3つの地域と、フラマン語共同体、フランス語共同体、ドイツ語共同体の3つの言語共同体の2層、計6つの組織で構成される。なおフランデレン地域とワロン地域の2つの地域は、それぞれ5つの州に分かれている。
ただし、フラマン語共同体とフランデレン地域圏については、首都圏を除き領域が完全に重なるので、現行憲法が施行されてまもなく、フラマン語共同体政府がフランデレン地域圏政府を吸収する形で統合された。統合された自治体は単にフランデレンと呼ばれている。つまり現在のベルギーには連邦構成主体は憲法上は6つ存在するはずであるが、実際上は5つしか存在しない。
フランデレン地域圏とワロン地域圏の境界線は、国土のほぼ中央を東西に横切っており、言語境界線と呼ばれる。
[編集] 共同体
- フラマン語共同体
- フランス語共同体
- ドイツ語共同体
[編集] 地域圏と州
- ブリュッセル首都地域 -フランス語、フラマン語両言語併用
- フランデレン地域圏 -フラマン語圏
- ワロン地域圏 - フランス語圏、一部ドイツ語圏
[編集] 地理
一般的に北部のフランデレン地域は平野が広がっているのに対し、南部のワロン地域はアルデンヌ高地を中心に丘陵地帯が多い。土地は北部は豊かな土壌が広がり、野菜や果実等の都市近郊型農業や、濃厚飼料を必要とする養豚・養鶏業等が営まれているのに対し、南部はアルデンヌ高地を中心に冷涼な気候で、酸性土壌も多く、肉牛、乳牛等の放牧による畜産業や、ビート栽培等が主流である。最高地点は東部ドイツ国境付近のボトランジュで、海抜693メートルに達している。
[編集] 経済
1人当たりのGDPが世界最高クラスであり、製造業を中心に豊かな資本力を誇る。ただし、小国であるが故に貿易への依存傾向が強く、経済が安定してるとまでは言い切れない。1990年代は、上昇傾向にあったが、21世紀に入って停滞状態になった。物価は低水準安定。また、景気に左右されず、失業率は概して高い。ただし、工業・サービス業が発達した北部のフランデレン地域と、石炭・鉄鋼業が衰退した南部のワロン地域では失業率に2倍以上の開きがある(後者の方が失業率が高い)。また首都ブリュッセルは移民が多く、低技能労働者が多いことから、失業率はやはり高い。北部と南部では言語が違うことから、労働者の需給にギャップが生じても、南北間の人的交流が生じにくく、これも失業率の格差が縮まらない一因となっている。
カカオチョコレートやベルギーワッフル等、加工菓子の産地として有名である。
日本との経済的関係は、地理的問題(空路の直行便が無い、など)や、文化的交流が少ない等の理由により、その存在は日本では一部企業を除きそれほど注目されておらず、特に銀行はバブル崩壊によりその多くが撤退した。ただし、確かな技術力を持つ企業が多いこと、またコーディネーションセンターに代表される外国企業に対する優遇税制措置が設けられていること、物流の拠点であるロッテルダム等に近く、かつ英独仏の主要国に近いこと、等から大手自動車メーカーなどが欧州統括本社等を置いており、在留届を提出している邦人は6,000人近くに達し、在留日本人の総数は欧州の中でも上位に位置する。
[編集] 鉱業
ベルギーには石炭以外の鉱物資源が存在しない。採掘の歴史は古く、既に12世紀から採掘が始まっていた。現在でも石炭は埋蔵されているが、品質面で国外の石炭と競争できないため、生産が急速に落ち込んでいる。例えば、1973年時点では880万トンだったが、2002年時点では17万トンまで下がった。過去には金属鉱物資源が採掘されていたが、1978年以降、採掘されていない。
[編集] 国民
住民はオランダ語(フラマン語)を話すフラマン人が58%、フランス語、ワロン語を話すワロン人が31%、その他混血などが11%である。特に首都ブリュッセルは中東系を中心とした移民が多く、近年ではアラブ系の「モハメッド」がブリュッセルで生まれる男子でもっとも多く名付けられる名前となっている。
言語はオランダ語(フラマン語)、フランス語、ドイツ語が公用語。具体的にはフランデレン地域ではオランダ語が、ワロン地域では東部の一部地域を除きフランス語が公用語であり、首都ブリュッセルではオランダ語、フランス語が共に公用語とされる。連邦レベルではオランダ語、フランス語が対等の立場にあり、必ず併記される。ワロン地域東部のドイツ国境付近(Eupen付近)ではドイツ語が地域の公用語として認められている。ただしそれぞれの話者の割合は均等でなく、オランダ語が60%程度、フランス語が40%程度、ドイツ語が1%未満である。なお首都ブリュッセルはオランダ語の使われるフランデレン地域に囲まれているが、フランス語話者が8割以上を占めている。
宗教はローマ・カトリックが75%、プロテスタントが25%である。1994年の統計ではイスラム教が3%であるが、最近は更に増加していると見られる。
穏やかな国民性だが、フランデレン地域の人々とワロン地域の人々の間には「言語戦争」とまで呼ばれる対立関係が存在する。近年は解消されつつあるが、まだ決して良好とは言えない。2006年12月13日、ベルギーの公共放送RTBFが「フラマン地域が独立を宣言して国王アルベール2世がコンゴ民主共和国(旧ベルギー植民地)に亡命した」という架空ニュースを流した(後に、議論を喚起する目的があったと説明された)ところ、一時国内が大混乱に陥り、地域間の溝の存在を露呈する結果となった。2つの地域の教育面での質の違いがあり、フランデレン地域の方が質の高い教育を行い、学力の差がある。
国内の大都市では英語が通用する。
[編集] 文化
ベルギー出身またはベルギーで活躍している著名人については、ベルギー人の一覧を参照。
[編集] 世界遺産
ベルギー国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が8件ある。詳細は、ベルギーの世界遺産を参照。
[編集] 関連項目
- ベルギー関係記事の一覧
- ゴルゴ13:「王国連邦」という架空の国家はベルギーがモデルとされる。2度登場。
- ベルギーの国王
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
[編集] その他
- 世界の国々 > ヨーロッパ
-
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