オットー・フリードリッヒ・ボルノウ
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オットー・フリードリッヒ・ボルノウ(Otto Friedrich Bollnow, 1903年3月14日 - 1991年2月7日)は、ドイツの教育哲学者。シュテッテン(Stetten)の生まれ。長くチュービンゲン大学教授で知られる。ゲッティンゲン大学で物理学で学位を取得した後、改革教育学の流れに入る田園教育舎で手伝いの仕事をしたことから、教育学に転進。同じゲッチンゲン大学で、教育学と哲学で1931年に教授資格取得。師は、ヘルマン・ノールとゲオルグ・ミッシュだった。2人ともヴィルヘルム・ディルタイの弟子。 第二次大戦中、ヘルマン・ノールと彼の弟子たちは、リベラルな志向を持っていたためほとんどが教職を追放されるか、イギリスなどに亡命したが、彼はマインツ大学の教職に留まり、戦後、チュービンゲン大学に移り、退職するまでそこで教鞭をとった。
彼は、教授資格取得の後、1938年にゲッティンゲン大学の員外教授になり、1939年ギーセン大学に招聘され、その後短期間キール、そしてマインツ大学の教授になって移る。1953年チュービンゲン大学に初等教育、教育的人間学、倫理学、教育学担当の教授として招聘される。以後、この大学に定年まで教授職にあり、定年後も大学院院生の指導を続けた。
彼は、ハイデッガーの死へ向けての存在に教育学という立場から反論し、家や庇護された空間を人を支える根拠として提案し、教育学ではこれを基礎に「教育的雰囲気」という概念を考え出した。今日、ケアリングという考え方の先駆をなすものではないかという彼の再評価の動きもある。 彼の空間論(『人間と空間』せりか書房)、気分論(『気分の本質』筑摩書房)は、教育学以上に、建築学の世界でよく読まれている。
[編集] 主要な著作
- 気分の本質
- 人間と空間
- 実存哲学と教育学
- 新しい庇護性 実存主義克服の問題
- 教育を支えるもの
- ディルタイ
- ロマンティークの教育学