オヤケアカハチの乱
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オヤケアカハチの乱は、1500年に琉球王国石垣島大浜(現在の石垣市大浜)の豪族・オヤケアカハチが蜂起した事件で、尚真王が派遣した征討軍3,000人の軍勢によって鎮圧、首謀者のオヤケアカハチは討ち取られた。
[編集] 乱の原因
オヤケアカハチが蜂起した理由は、様々な説が挙げられている。琉球王国側の見解では、オヤケアカハチの粗暴な性格と貢納を拒否した反逆行為が原因としている。また、一説では八重山固有の神、イリキヤアマリ神の信仰を王府に禁止されたためとも言われる。しかし当時オヤケアカハチは、八重山諸島の覇権を巡って宮古諸島の豪族・仲宗根豊見親と対立しており、琉球王国への反逆というよりは、八重山統一を賭けた一大決戦だったというのが真相に近いだろう。