オヤケアカハチ
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オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂、於屋計赤蜂)は、八重山諸島石垣島の大浜村(現在の石垣市大浜)を根拠地とした15世紀末の豪族である。「ホンガワラ」(保武川、堀川原、保武瓦)という別名ももつ。
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[編集] 生涯
オヤケアカハチの生誕地は波照間島で、幼少の頃から豪傑としての頭角を表していたという。その後渡海し、石垣島の大浜村に居を構えて、石垣島内の有力豪族として勢力を広げていった。そして、石垣村の豪族・長田大主の妹の古乙姥を娶り、長田大主と義兄弟の契りを交わした。しかし、宮古諸島の仲宗根豊見親と対立したことで、首里の尚真王の介入を招いた。このことが首里王府に反旗を翻したとされ、1500年に尚真王が派遣した征討軍3,000人との戦いに敗北し、討ち取られた。これを、オヤケアカハチの乱と言う。
- 蜂起した理由は、様々な説が挙げられている。琉球王国側の見解では、粗暴な性格と貢納を拒否した反逆行為が原因としている。また、一説では八重山固有の神、イリキヤアマリ神の信仰を王府に禁止されたためとも言われる。しかし当時オヤケアカハチは、八重山諸島の覇権を巡って宮古諸島の豪族・仲宗根豊見親と対立しており、琉球王国への反逆というよりは、八重山統一を賭けた一大決戦だったというのが真相に近いだろう。
石垣島の「フルスト原遺跡」はオヤケアカハチの居城跡といわれている。
[編集] 作品・イベント・エピソード
- 重宗務・豊田四郎が監督した映画『オヤケアカハチ』が1937年に発表されている(制作:東京発声映画製作所)。
- 特撮番組「ウルトラマン」で有名な怪獣「レッドキング」の名前の由来であるとされる。なお脚本を担当した金城哲夫は沖縄の出身であり、地球人と宇宙人との板ばさみに悩むウルトラマンを、沖縄の立場に似ていると解釈したと、後に度々発言している。
- 2000年には石垣市大浜にて「第1回アカハチまつり」および「オヤケアカハチ慰霊祭」が行われた(主催:オヤケアカハチ500年 実行委員会)。
- こども演劇オヤケアカハチ「太陽の乱」 オヤケアカハチを題材にして、石垣島在住の小学校4年生~高校3年生の総勢80名の子供達が歌と踊りで演ずる舞台。
- 韓国には、同時期に実在したとされている人物・洪吉童(ホンギルトン)とオヤケアカハチとの「同一人物説」を唱える者がおり、義経=ジンギス・カン説と似たかたちで享受されている。洪吉童は大衆的人気が高く伝統的に小説等で取り上げられるなどしているが、実際にも、盗賊であり朝鮮王朝に対する反逆者であると記録されている。これが沖縄に逃れたという「同一人物説」を薛盛景(ソルソンギョン/当時・延世大学教授)と梁潅承(ヤンコンスン)が唱えていた。この同一人物説によって、オヤケアカハチがしばしば沖縄と韓国との友好事業・行事の題材にされることがある。。
- 2001年5月4日には、韓国南部の長城郡で「洪吉童国際学術シンポジウム」が開かれ、「同一人物説」について日韓の研究者が議論した[1]。ただし、同・シンポジウムについては沖縄と韓国の相互交流を強調して報道されており、友好行事としての性格が強い。「同一人物説」そのものについては、時期的な一致やフルスト原遺跡から韓国の陶磁器や古銭が出土した等が根拠として提示されているのみであり[2]、日本では「韓国側の思い込み」として否定する声が多い[3]。
- 2001年7月に石垣市で予定された韓国の劇団による「ミュージカル・ホンガワラ」公演(オヤケアカハチを主人公に創作)が八重山諸島と韓国との友好イベントとして企画された。同・公演は直前で中止されたが、その原因が、歴史教科書問題の再燃により韓国で日本文化の段階的開放が中断されたためであることが報道において注目された。[4]
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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