オルタンス・マンチーニ
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オルタンス・マンチーニ (Hortense Mancini,1646年-1699年)は、イングランド・スコットランド国王チャールズ2世の愛妾。オルテンシア(Ortensia)とも呼ばれた。
美しい五人姉妹の一人として、ローマで生まれる。叔父はマザラン枢機卿。幼年期のうちにフランスへ移った。亡命していたチャールズ2世にプロポーズされたが、国も資産もない彼を歯牙にもかけないマザランが断った。15歳になるとすぐ、当時の富豪の一人であるアルマン=シャルル・デ・ラ・メイユライエと結婚させられた。彼との結婚は到底満足できる者ではなく、1666年に夫と自分の家族の元から逃げ出した。
オルタンスは、自分を正当化する回顧録を出版し、夫がいかに支配的で独占欲が強く、金遣いが荒いか書き記した。マルグリット・ド・ヴァロワを除くと、オルタンスと姉妹のマリーは、フランスで最初に回顧録を出版した女性である。
男装を好み、剣と銃を携える彼女の冒険談が、ヨーロッパ中のいたるところに伝わるほど有名だった。彼女は多くの愛人をもち、その中にはサヴォイア公カルロ・エマヌエーレ2世がいた。
1675年にオルタンスはイングランドへ渡り、まもなくチャールズ2世の愛妾となった。彼女は、文学や芸術のパトロンとして知られるようになった。
1699年、チェルシーの自宅で死去。