オレンジアタッカーズ
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オレンジアタッカーズは、1982年~2000年に存在した日本の女子バレーボールチームである。
1982年11月、日本の大手スーパー・ダイエーの社内レクリエーション活動の一環として女子バレーボールの実業団チーム「ダイエー女子バレーボール部・オレンジアタッカーズ」としてスタート。本拠地をダイエー本部のある神戸市においていた。
日本バレーボールリーグへの昇格は1985~1986年のシーズン。この年はいきなり準優勝と健闘。しかし、そのシーズンでロサンゼルス五輪アメリカ代表で活躍のフローラ・ハイマンが試合中に倒れ急死するというアクシデントにも見舞われた。
以後日本リーグ、黒鷲旗全日本選手権で着実に上位進出をするも、優勝までには至らなかった。
1994~1995年シーズンにリニューアルしたVリーグでようやく念願だったチャンピオンの座を手中に収め、それ以後もVリーグは1997~1998年、全日本選手権は1996年、1998年に優勝するなど、常勝チームとしての地位を確たるものとした。
だが、ダイエーが不況の影響による経営悪化を理由にバレーボール部の活動を停止することを1998年に発表し、チーム解散の危機も取り立たされた。その後ダイエーの関連会社が中心となって実質的なプロ組織によるクラブチーム「オレンジアタッカーズ」として存続し、1999年の全日本連覇を達成するなど、チーム再建は順調かに思えた。
しかしクラブチームとしてのオレンジアタッカーズも経営的に厳しい環境が続きわずか2年で久光製薬に事業譲渡することになり、2000年、引き続き神戸市を本拠地とした「久光製薬スプリングアタッカーズ」として再スタート。2001年にかつて日本リーグでもプレーしたことがある鳥栖市の「久光製薬スプリングス」とチーム統合し、神戸、鳥栖のダブルホームタウンとした。(2001~2002年は「スプリングアタッカーズ」だったが、2002~2003年以後「スプリングス」とした)
[編集] 主な成績
- 優勝2回(1994年度、1997年度)
- 準優勝2回(1985年度、1993年度)
- 優勝5回(1986年、1992年、1996年、1998年、1999年)