カブキ者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カブキ者(かぶきもの)は、室町時代後期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に寛永から万治、寛文年間(1624~73)にかけて流行した。男伊達を競い、派手な身なりや、行動を取る者たちのこと。「かぶき」は「傾き」に由来し、演劇としての歌舞伎の源流の一つになったともいう。
不満を持つ旗本、御家人や武家奉公人達が徒党(組)を組んで旗本奴と呼ばれ町人達に乱暴を働いたため、それに対抗するために町人が町奴として徒党を組み対抗した。旗本奴では大小神祇組や吉屋組、町奴では唐戌組などが知られる。
ともに派手な格好と無頼な行動を好み、立髪、大髭など異形風俗が流行した。侠客の走りとも言われる。旗本奴の頭領としては、水野十郎左衛門、町奴の頭領としては幡随院長兵衛が有名であり、芝居の題材に使われた。諸行無常の処世観、怨恨からの超絶、売られた喧嘩は必ず買う、見栄えや様式美、色恋や芸事を尊重するという美意識を共有する。
カブキ者の風潮は、当時流行していた衆道とともに体制秩序からの逸脱行為として、4代将軍徳川家綱時代を中心に統制が行われる。諸藩でも備前岡山藩主池田光政などが統制を行った。