幡随院長兵衛
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幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ、元和8年(1622年) - 明暦3年7月18日(1657年8月27日))は、町奴の頭領で、日本の侠客の元祖とも言われる。一応、実在の人物だが、芝居等で有名。本名は塚本伊太郎。
元は佐賀藩の武士・塚本伊織の子で、口入れ屋を営んでいたが、男伊達を競って乱暴を働く旗本奴と対立し、町奴の頭領となったとされていたが、長兵衛は滅亡した波多氏の旧家臣の子であるとする説もある。
江戸の幡随院(お寺、京都の知恩院の末寺、その後焼失し現在は小金井に移っている)の裏に住んでいたため、幡随院長兵衛と呼ばれるようになった。1657年に旗本奴の頭領、水野十郎左衛門に湯殿で殺されたとされる。歌舞伎, 講談の題材に盛んに使われ、中でも『極付幡随長兵衛』が有名。
[編集] 外部リンク
- 幡随院長兵衛生誕の碑佐賀県
[編集] 幡随院長兵衛の登場する作品
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