カーウィラ
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肖像 | |
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なし | |
基本情報 | |
正式名称 | カーウィラ |
タイ語表記 | พระเจ้ากาวิละ |
英語表記 | Phra Chao Kavila |
別名・通称 |
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称号 |
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王朝・代 | チェンマイ王朝1代目 |
統治地域 | 現タイ王国のチェンマイを中心とする一部地域 |
誕生 |
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即位期間 | 1742年 - 1813年 (タイ仏暦2285年 - 2356年) |
その他の呼称 | プラヤー・ワチラプラーカーン (Phraya Vajira Prakan、พระยาวชิรปราการ) |
カーウィラ公はタイ王国のチエンマイ県にあったチェンマイ王朝の第1代目の公である。ランパーン県の知事の長男で、アユタヤ王朝がビルマ軍によって破壊されたとき、タイ王朝復興勢力のタークシン王の軍勢に加わり、ランパーン県を死守したことにより、タークシン王朝下でもランパーン県の知事を命ぜられた。その後タークシン王がラーマ1世に処刑されると、カーウィラ公は、プラヤー・ワチラプラーカーンの官位・欽錫名を与えられ、チエンマイの王に任命されたが、このとき未だチエンマイは、未だビルマ軍の占領下にあったので、奪回すべく兵を募った後出兵し、1796年(タイ仏暦2339年)チエンマイを取り返した。その後、1802年(タイ仏暦2345年)カーウィラ公の称号を得た。王になってからは、チエンマイ市内の占領下で廃れた寺院の修復を行ったりした。