カール・ゴットハルト・ランプレヒト
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カール・ゴットハルト・ランプレヒト(Karl Gotthard Lamprecht,1856年2月25日-1915年5月10日)は、ドイツの歴史家。
1885年からボン大学助教授、1890年からはマールブルク大学教授、1891年からはライプツィヒ大学教授を勤める。1909年にライプツィヒ文化史・世界史研究所を創設。特にその初期には、ライン地方を中心とするドイツ中世経済史の研究と、ドイツ経済史文献の渉猟と紹介に尽力した。主著に『ドイツ史 Deutsche Geschchite』(12巻、1891-1909)があり、歴史における進化の理念を強調し、文化史と精神史の叙述に重きをおいた。あらゆる事物を普遍性に還元する思考の習慣を〈類型主義 Teipismus〉と名づけ、中世精神の基本的性格と見なした。ランプレヒトはこの〈類型主義〉を、ヤコプ・ブルクハルトがルネサンスの特徴としてあげた〈個人主義〉に対立する概念として用いた。彼はこの中世の思考法を賛美するあまり自身の歴史学に持ちこみ、歴史事象についてどこでも通用する法則を求め、個々の事実や個人の運命の記述は学問的な歴史の対象にはなり得ない、と考えた。文化によって時代を区分する彼の方法は仮説として役立つが、それを科学や定説にまで引き上げようとしたことや、ドイツの世界史上の使命を歴史によって立証せんとする傾向は、ホイジンガなどによって批判されている。ランプレヒトは、ベルギーの史家アンリ・ピレンヌとの交友もあった。