キリストの昇天
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キリストの昇天(-のしょうてん)とはキリスト教の教義で、復活したイエス・キリストが天にあげられたこと、またそれを記念するキリスト教の祝日(「昇天祭」参照)。「イエスが天にあげられた」という一文は信仰箇条として使徒信条にも含まれている。
[編集] 聖書の記述
イエス・キリストの昇天に関する記述が見られる第一の資料は『マルコによる福音書』16章14節から19節である。マルコの描写は簡潔で、イエスと弟子たちがエルサレムに近い場所にある建物の室内で席についている。イエスは弟子たちに福音を述べ伝えるよう命じ、信じるものは毒にも倒れず、病気のものをいやす力が与えられるという。イエスはこう言い終えると天にあげられ、神の右の座についたという。昇天という出来事自体に関する記述はない。『ルカによる福音書』24章50節から51節の記述はもっと短い。イエスは11人の使徒とエルサレム近郊のベタニアに赴く。イエスは彼らを祝福し、天にあげられたという。マルコでもルカでも、昇天は復活後すぐに起こっている。
昇天に関してもっとも詳細な描写を行っているのは『使徒言行録』1:9-12である。それによれば復活後の四十日間、イエスは神の国について語り続けた。四十日のあと、イエスと弟子たちはベタニア北部のオリベト山に集まった。イエスは弟子たちに聖霊の力が与えられるだろうと告げ、福音を全世界に伝えよと命じる。イエスはそこで天に昇り、雲の間に消えた。そこへ白衣を着た二人の男があらわれてイエスがやがて同じように再臨すると告げたという。
一見すると、これらの三つの記述は微妙に食い違っているようである。特にルカ福音書と使徒言行録が同じ著者によって書かれたという伝承があるだけに読む者は戸惑いを感じることになる。しかしよく見てみると、ルカ福音では決してイエスが復活後すぐに天にあげられたといっているわけではないことに気がつくだろう。また聖書学的にはマルコ福音書の本来の末尾は16:8であり、それ以降の部分は後代の付加であろうという説が有力になっていることにも留意する必要がある。
『マタイによる福音書』は、ガリラヤの山でイエスが弟子たちに世界へ福音を伝えるよう命じて終わっており、昇天に関する記事はない。マルコ、ルカ、使徒言行録以外では聖書に昇天に関する言及はない。
[編集] 主の昇天の祝日
キリストの昇天の祝日はキリスト教の典礼暦の中でもっとも大きな祝いの一つである。日本語表記は宗派によって異なるが、「主の昇天」や「昇天祭」などと呼ばれる。本来、昇天は復活祭から40日後のことで木曜日にあたるが、西方教会では、平日に教会に集まりにくい信徒の事情を考慮してその次の日曜日に祝われる地域も多い。
スカンジナビア諸国、オランダ、ドイツなどでは昇天の祝日は国祭日となっている。ドイツでは同じ日が父の日にもあたっている。カトリック教会では主の昇天の祭日は大きな祝い日で守るべき祭日とされている。東方正教会では昇天祭といい、十二大祭のひとつである。この日は復活祭に連動して動くため、西方教会の場合、もっとも早くて4月30日、遅くて6月3日になる。
大西洋にあるイギリス領のアセンション島は、昇天の祝日にヨーロッパ人に発見されたため、「昇天」を意味する名前がついた。パラグアイの首都アスンシオンは聖母の被昇天の祭日である8月15日に開かれたため、スペイン語で被昇天を意味する名がつけられているので、イエスの昇天とは無関係である。