クィントゥス・ファビウス・マクシムス・アエミリアヌス
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クィントゥス・ファビウス・マクシムス・アエミリアヌス(Quintus Fabius Maximus Aelimianus)は共和政ローマの元老院議員。父はルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクスであったが、クィントゥス・ファビウス・マクシムスの養子となった。
彼は実父マケドニクスとともに第三次マケドニア戦争に従軍、ピュドナの戦いで勝利を収めるが、その際にローマへ勝利の報を届ける役目を担った。そして紀元前149年から紀元前158年の間プラエトル待遇でシチリア島に赴任、そして紀元前145年にはコンスルに就任した。そしてプロコンスルとしてヒスパニアでルシタニア人討伐(ルシタニア戦争)、しかし首領ウィリアトゥスを捕らえる事はできなかった。戦いはそれから10年間続き、彼の兄弟である小スキピオがヌマンティアを鎮圧するまで続いた。
彼と小スキピオは後のギリシア人歴史家ポリビオスの庇護者であった。