グルバングル・ベルディムハメドフ
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グルバングル・マリクグルイェヴィチ・ベルディムハメドフ(1957年 -、トルクメン語: Gurbanguly Mälikgulyýewiç Berdimuhammedow; ロシア語: Гурбангулы Мяликгулыевич Бердымухаммедов、1957年 - )は、トルクメニスタンの政治家、医師。サパルムラト・ニヤゾフ政権時代に副首相を務め、ニヤゾフ死去(2006年12月21日)後は大統領代行を経て第2代大統領。
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[編集] 経歴
トルクメン・ソビエト社会主義共和国アシガバード州ゲオク・テピンスキー地区ババラプ村出身。
1979年、トルクメン国立医科大学口腔学部を卒業。1979年、アシガバード第5診療所のインターン生。1980年~1982年、アシガバード地区エリック・カラ村の外来診療所の口腔科医。1982年~1985年、アシガバード地区主任定員外口腔科医。1985年~1987年、アシガバード地区ケシ農村ソビエト中央地区病院口腔科主任、アシガバード州主任定員外口腔科医。1987年~1990年、モスクワの内科口腔病学の大学院で学ぶ。
1990年~1992年、医学科学準博士となり、トルクメン国立医科大学の内科口腔病学講座助手として働く。1992年~1995年、口腔学部副学部長、学部長、助教授。
1995年~1997年、トルクメニスタン保健・医療産業省口腔センター長。1997年から保健・医療産業相。1998年6月、S.A.ニヤゾフ名称国際医療センター長を兼任。1999年6月からトルクメン国立医科大学学長代行。
2001年4月から副首相(教育・科学・保健担当)。2006年11月、ミンスクでのCISサミットにトルクメニスタン代表として出席。
2006年12月21日、ニヤゾフ死去後、大統領代行(憲法規定上、議会議長オヴェズゲリドゥイ・アタエフが大統領を代行するはずだが、彼は現在刑事訴追されている)。ニヤゾフの葬儀組織委員長。憲法上、大統領代行の次期大統領選への出馬は禁じられていたが、国民評議会が規定を改正したため、ベルディムハメドフも後継者の1人として台頭することとなった。
2007年2月14日、先の大統領選挙の結果、他の候補を大きく引き離す89.23%の得票率を獲得し、第2代大統領へと正式に就任する。
2007年3月30日、国民評議会議長に選出。
[編集] テュルクメンバシュとの関係
2003年11月、「お前んところの医者は、注射もできねぇ!お前の在任中、共和国には1人の有名な医者も現れなかったじゃないか!」とニヤゾフは憤慨した。ベルディムハメドフは、「偉大なるテュルクメンバシュ」とか「偉大なるルーフナーマ」と言って、必死に弁解した。ニヤゾフは、話をさえぎり、「何言ってんだか!お前は、年に一度でもおいらを見てるのかい?!」と語った。この後、争いは収束し、ベルディムハメドフはポストに留まることができた。[1]。
2004年初め、「医療・教育職員への給料支払いの遅滞」により、ニヤゾフの指示で3ヶ月間減給された。
[編集] パーソナル
医学科学博士。「ガルクイヌシュ」勲章、「Prezidentin Yyldyzy」勲章、「Garassyz Turkmenistana bolan beyik soygusi ucin」勲章、「祖国への愛に対する」(Watana bolan soygusi ucin)メダル、「Turkmenistanyn Garassyzlygynyn 11 yllygyna」メダルを受賞。
「CIS心臓病医」誌編集委員。
[編集] 脚注
- ^ 「БЕРДЫМУХАММЕДОВ Гурбангулы Мяликгулиевич」。ЦентрАзия上の経歴
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