ケント公
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ケント公(ケントこう、Duke of Kent)はイギリスの公爵位の一。 グレートブリテン貴族(Peerage of Great Britain)または連合王国貴族(Peerage of the United Kingdom)として複数回叙爵されている。 現保有者は国王ジョージ5世の孫である王子エドワード。
[編集] 沿革
ケントという称号が最初に現われたのは、古代のアングロ=サクソン七王国の一国であるケント王国においてである。ケント王の歴史は449年頃まで遡ることができる。825年、ケント王国がウェセックス王エグバートによって征服されると、彼の息子であるエゼルウルフがケント王位に登り、その後はウェセックス王の正統後継者がケント王位を襲うようになった。そして860年、ケントは王国としての地位を失い、ウェセックスに併合された。
11世紀中期、ケント伯が出現した。リオフワインあるいは彼の父であるゴドウィンが初代とされる。しかし1066年、ヘイスティングスの戦いでリオフワインは戦死し、世襲は途絶えた。
ケント伯位はその後、11世紀から15世紀までの間に、イギリス君主によって6回叙爵された。
- 1067年、バイユー司教のオドーを叙爵。1088年、同氏から剥奪。
- 1141年、ウィリアム・デ=イプレスを叙爵。1155年、同氏から剥奪。
- 1227年、ヒューバート・デ=バーグを叙爵。彼の死後、廃絶。
- 1321年、ウッドストックのエドマンドを叙爵。1360年、ホランド家に移り、1408年に廃絶。
- 1461年、ウィリアム・ネヴィルを叙爵。彼の死後、廃絶。
- 1465年、エドマンド・グレイを叙爵。第12代ケント伯ヘンリー・グレイまで世襲。
1706年、第12代ケント伯ヘンリー・グレイはケント侯に昇叙された。さらに1710年、彼はケント公に昇叙され、このとき初めてケント公という称号が生まれた。しかし、後継者に恵まれず、彼の死をもって廃絶した。
1799年4月23日、国王ジョージ3世の四男(ジョージ4世、ウィリアム4世の弟)である王子エドワード・オーガスタスが「ケント=ストラザーン公」として叙された。しかしエドワードもまた後継者を持たなかったため(一人娘ヴィクトリアは王位を継承した)、これも一代限りで廃絶した。
1934年、国王ジョージ5世の四男(エドワード8世、ジョージ6世の弟)である王子ジョージがケント公に叙された。そして1942年、ジョージの息子である王子エドワードがこれを世襲し、現在に至る。